pazap今年8回目のライヴ。
前回8月のArcdeuxでのライヴは、ableton Liveの不具合のせいで、最後の曲『ミクロ』が大崩壊してしまうという、pazap結成十数年にして最悪の事故が起きてしまったライヴでしたので、あの惨劇のお詫びとして(?)、30分の持ち時間に7曲を詰め込むというライヴになりました。
できるだけM.Cを省き、前奏までもいくつか省略。そして実質的に演奏しっぱなしとなるライヴ。曲数を増やして前回のお詫びとしているのか、自分たちの肉体を痛めつける事によりお詫びとしているのか、またその両方なのか、やってる方にも分かりかねますが、少なくても「もうこんな事は二度と御免だ!」という台詞がライヴ終了後に出る程、ヘロヘロになったライヴでした。
個人的には数日前に鏡餅が飛んで来たのを受け損なって(苦笑)、突き指で負傷しておりまして、それがまだまだ痛むライヴでしたので、これをどうかばって演奏するかっていう所がポイントだった訳ですけれども、本番はやはりアドレナリン効果か、できるだけ大人しく叩こうと思っていたのに、やっぱり出来ませんでした。
以下、セットリストを。
『くらむぼん』はいつもより大幅にイントロを削除。そのために新たに打ち込み直したりをしてまとめたヴァージョン。つづく『おやまのフジー』は『くらむぼん』から間髪いれずに続きました。
『毎度お馴染み』ないつものM.Cは最小限にして、つづいて『ミドロガ』。『ミドロガ』終了直後にはホイッスルが鳴り響き、打ち込んだドラム・コーサウンドにドラムが加わって、次の『怪獣大戦争マーチ』へ。勿論この曲は伊福部昭氏作曲のあの有名なマーチです。ちょうど今、ゴジラシリーズの何かのCMでも使われておりますね。これをアレンジしてテンポを次の『Hell Ditty』と同じテンポの140にしての演奏。インストですが、うたうたい氏はカズーにて参戦です。この曲は前から好きでいつかやってみたいと思ってたのですが、ふいにそれを思い出して衝動的にカヴァーしてみたものです。これがArcdeuxでこの日P.Aを担当して頂いてた小西さんに大受けでございました。丁度この日、ゴジラの話しで盛り上がっていた所だったらしく、タイムリーだったというのもあったようです。喜んで頂けて嬉しかったです。
『怪獣大戦争マーチ』は2まわりくらいのシンプルな2分半ほどにして、続いてノンストップで『Hell Ditty』へ。いつものイントロより、これも省略してあります。あとはいつも通り。ギターソロあたりでは、突き指効果かいつもより冷静になれたので、大暴れをして拍を見失う事も無かったです。
次のM.Cは『ボク』への語り。最近ではここで語りを入れる場合はバックにオケを流すのですが、今回は無音で語りのみ。逆にこれは効果的になりますね。何でも音を付ければいいというものではないっていうのを再確認しました。無音という音の存在を忘れてはいけませんね。
『ボク』から『ミクロ』っていう流れは最近多いのでしっくりきます。そしてやはり『ミクロ』は最後。しかも、今回は前述したように大変な体力を奪われるライヴだった訳で、うちの曲で一番の体力消耗度を誇る『ミクロ』は本当に大変でした。これでヘロヘロになってライヴ終了! 機材を楽屋で片付けてる時に滝の様に汗が溢れ出して来ました。真夏のライヴだってこんなに汗をかいてないのに、9月の終わりにこれかよ! という感じ。これが今日のライヴの大変さを表しているようでした。
突き指でどうなるかと心配でしたが、まったく影響が無い訳ではありませんでしたけれども、なんとか無事にライヴを終えて良かったです。
また、今日の対バンさんも強烈なバンドさんばかりで、全てのライヴ終了後には楽屋はえらい盛り上がり。最後には一本締め、そして三本締めまで起こり、集合写真撮影会まで開かれました。こんな異常な盛り上がりのライヴは初めてで面白かったですねぇ。オヤジバンド・イヴェントなのに、いやぁ、オヤジバンドは侮れませんよ! 元気すぎる。
そして、先月Vox hallでライヴした時に声をかけて頂いてた、Gallopというバンドのメンバーさん――確かドラマーさんだと記憶しておりますが――も見に来て頂いて、本当にありがとうございました!! とても嬉しかったです。次のライヴの予定はまだ未定ですが、年内にまだあると思いますので、よかったらまたいらしてくださいませ!
昔の『ようこそ日和佐へ』看板が今やウェルかめ看板に 淡路S.Aの観覧車と明石海峡大橋 帰りはガラガラの明石海峡大橋 夜はここからの夜景も絶品! 明石海峡大橋と垂水ジャンクションの間の長いトンネル ラ マルティーヌのケーキ
京都へ戻る日。
朝7時に出発予定が、掃除とかをしてると時間をおしてしまい、結局40分遅れで出発。
徳島方面を向って隣町の境を来たとき、昔はここにリアルっぽいウミガメの絵が書いてある丸い案内看板があって、『ようこそ日和佐へ』みたいな文句が書いてあったものです。それが10年くらい前(?)のあたりに、一見マッチョな人が両腕の筋肉を自慢しているようにも見えるけど、実はカメの絵でした……っていうような看板に変わっていたのです。それが、お盆からこの1ヶ月くらいの間に、写真にあるような朝ドラ『ウェルかめ』仕様の看板に変更され、更にキャラクタのカメも可愛らしいものに変更されておりビックリ。あのマッチョなカメさんはいずこへ? そしてこのキャラは『マリンちゃん』っていう名前のようですが、日和佐ウミガメ博物館に登場していたカメ子とカメ吉っていうのが居たと思うのですが、あの方々ももうお役御免ですか(笑)。まぁ、絶好の名前を売るチャンスなので、町を挙げて盛り上がるのはいいのですが……。
それにしても『美波町』って、良い名前なのではありますが、なんかしっくりこない名前ですねぇ。やっぱり日和佐だなぁ。
徳島市内では最近恒例のモンシュシュっていうパン屋さんに寄って、パンを買ってから改めて出発。鳴門インターから本四高速に乗って、さらば徳島! 今回は淡路島南P.Aには寄らず、それでも途中で眠くなって来たので、眠気覚ましのコーヒーでも飲もうかと室津P.Aで休憩。ここはトイレとコンビニ(ファミリーマート)があるのですが、初めてよったコンビニはその辺の町中にあるのと同じだと思っていたら、結構土産物コーナーが多くてビックリ。S.Aの売店とかは夜8時くらいには閉まってしまうので、たまにお土産どうしようかと悩む事があるのですが、こういう24時間営業の場所でお土産があるのなら便利ですね。知らなかった。
レジでカップを買って自分で機械操作して煎れるコーヒーを購入。出発の時は曇ってて雨が降りそうだったのが、すっかり晴れて来ていい気持ち。トイレを済ませ、外で海を見ながらコーヒーを飲むっていうのも贅沢な感じで楽しい旅気分。
急ぐ必要もないのですが、いつまでの居られないのでほどほどで出発。渋滞はまったく無くて快適に明石海峡大橋を通過。淡路S.Aにも寄ろうと思えば寄れたけれど、もう何度も寄った場所だし、こんな混む時期にわざわざ行かなくてもとパス。本州行きは都会の町に向って行くので、夜は夜景がきれいなのですが、昼は昼で楽しい。神戸側の橋の近くにマンションが建っていて、きっと明石海峡大橋が一望できるのがウリなマンションなのでしょうが、ちょっとどんな景色か見てみたいなぁ……とか、洗濯物は外に干せるのかしらとか、そういう話しをしながらトンネルを抜けて垂水ジャンクションへ。
後は来た道と同じく、神戸を抜けて下道で西宮まで。神戸市内の道とかもっと混んでるのかとおもったのですが、案外空いていて助かりました。
西宮から名神に乗って京都南まで。ここも渋滞なしで京都着が13時すぎ。
今回は義妹も一緒だったので、義妹を送って行ったついでに下鴨のケーキ屋さんでラ・マルティーヌでケーキを購入。晩ご飯の後に頂きました。
フルートのタルトを食べたのですが、これが洋酒がキツく断念。なんせアルコールに弱いし、ワタシの場合お酒はかなりの確率で片頭痛がくるのでタブーなのです。それに洋酒の味が大の苦手なので、結局食べられませんでした。チョコもダメ――といってもチョコは好きなのでちょっと頂きましたが。片頭痛の原因になるのであまり多くは危険なのです――だし、しょうがなく娘が自分で選んだタルト・ママンをちょっと分けて貰って食べましたが、これはとても美味しい。これ、ホールでも1000円くらいと安かったので、今度はホールで買ってもいいかも。
しかし、早い時間に京都に戻って来てもゆっくりと出来ず。大量の荷物の後片付けだけで凄く時間がかかるのよね。相変わらず突き指した右手の人差し指も痛いし。怖くてスティックも握れません。金曜日のスタジオまでになんとか収まればいいのですが、まぁそれは難しいでしょうなぁ……。
正観寺 八大地獄 餅放り会場 恒例の今回拾ったガラス。その向こうには出羽島。 大砂海岸から見た空
朝11時半頃に近所のおじさんから正観寺で『餅放り』があると聞いて、すばやく用意して出かける事に。
ワタシの実家のあたりでは、昔から家を建てるときの建前に餅を投げる風習があって、子供の頃からよく拾いにいっていました。うちの地方では『餅放り』っていうんですが、地方によっては『餅投げ』と言ったり『餅まき』と言ったりするようですね。ちなみにwikipediaには『餅まき』で載ってました。
ワタシが餅を拾いに行き出した頃は、紅白餅をハダカのまま投げていたのですが、時代の流れかそれをビニール袋に入れて撒くのが一般的になり、子供用にお菓子も撒く様になったりと、時代によって変わって来てたのを感じてました。お餅には5円玉とかが入っていたり、確か鏡餅にはお札が入っていたんじゃなかったっけか? あ、だから余計に奪い合いになってたんだっけ? とにかく、昔はそうだったんだけれど、最近ではひょっとしたらこの辺りでも珍しいのだろうか?
それはともかく、正観寺なんて行くのはもう10年以上ぶりではないだろうか? ひょっとしたら20年近くぶりになるかもしれない。昔は遊び場所の1つだったので、池で鯉にエサをあげたり、丸い物体が重ねられてる遊具があって、そういうので遊んでた記憶があります。そうそう、お寺の2階か3階とかから外に有る壺みたいなのに丸いお皿みたいなのを投げて、その中に入ったら笑い声が聞こえるっていうのがあって、そういうので遊んだ記憶があります。ワタシたちの間ではそれを通称『ワッハッハー』と呼んでいたのを思い出しましたが、探してみた炊けれど今では無くなってるようで残念です。
今回の餅放りはお彼岸の時期なので、その関連の秋の大祭の一環だと思われますが、ワタシが住んでた頃からしてたのでしょうか? 何か行った記憶が無いのでそれ以降から始まったのかな?
さて、こういう餅放りっていうのは普通の小さいお餅と大きな鏡餅を投げるのですが、だいたいパターンが決まっていて、初めに小餅を投げて、それが終わってからお鏡さんを投げます。お鏡を投げると男同士の格闘――とはいえ、勇敢なおばちゃんがこれに加わることもたまにありますが――が始まり、ひどければ流血騒ぎにもなるので、子供の頃からお鏡が投げられる頃になると後ろに逃げて、格闘状態の見物をしたりしたものです。
今回も勿論お鏡争奪戦には参加せずに居ようと思ったものの、なんと分けずに小餅の合間にお鏡を投げるという危険な餅放りだった模様。それでも投げたら逃げればいいと思ってました。が、しかし! ちょうどワタシの頭上に飛んで来たのです! でもじゅうぶんに逃げる時間はあったのですが、こういう時には条件反射的に手が出るものでして、気付けば右手を伸ばしておりました。
まぁよく考えてみると分かるのですが、餅というのは餅米の固まり。しかもついてあるので詰まってる訳です。それがお鏡ですからかなり重くて当たり前なのですが、更にそれが上から落ちてくるのを素手で受けようとする訳です。場合によっちゃあ怪我をしますよね。そう、見事にこれで右手人差し指を突き指してしまいました(苦笑)。4日後にライヴがあるにも関わらず(涙)。何が悔しいって、しかもそのお鏡がゲットできなかったんですよ! くそぅ!!! 悔しい!
餅放りが終わった後、ちょっと坂を下った所でうどんの接待をしているというので、右手人差し指を押さえながら列に並んでいたら、なんと1人前にて終了(笑)。まったくついてない日はこんなもんです。
指は次第に腫れて曲げると痛い。これはひょっとしてスティックさえ持てないんじゃないか? という状態。まずいなぁ。今回のライヴは正味演奏しっぱなしの、多分今までで一番大変なライヴになりそうなのに……。
そして、昨日は内妻であんまり時間がなくてガラスが拾えなかったので、今日は夕方まだ日がある内から大砂海岸のいつもの場所までガラス拾いに。海に行く度に海嫌いになる娘にしがみつかれながら、どうしようもできないまま子守り(苦笑)。しょうがないので手に握れるくらいの大きさの石を両手に持って、大きな石を叩いてモザンビーケとかのパターンを叩いて遊んでいたら、これに娘が興味を示して泣き止み、なんとか遊び出してくれたので良かった。ただ、やっぱり突き指した右手人差し指は腫れていて痛く、かばいながら叩くのは大変。これはどうなる事やら……。
さてさて、明日は早朝から実家を後にし、京都へ戻ります。今回の帰省最後の夜。テレビも壊れてるので今回もそんなにはテレビを見ずに過ごしましたが、これはこれで何とも快適でした。テレビなしの生活もいいかもしれない。代わりに今と台所の間に有る戸棚に簡易DJブースを作り、MacでDJをしておりました。パフュームの『チョコレート・ディスコ』とかで娘が変な踊りを踊りだし大爆笑しながら。こういうのが楽しくて、京都へ戻ったら、ちょっとテレビを見る時間を減らそうと思いました。
まぁ、出発前夜の夜に録画しておいた韓国ドラマ『カインとアベル』の第七話がどうしても見たくて、スタジオから帰って来て寝るまでの間にDVDに焼いておいたので、それをこっちでMacで見たりはしてましたけれどもね(笑)。
願い事を書いてカメに貼る ウミガメ 大浜海岸 四国霊場23番札所 薬王寺
お盆休みで帰省した折りには日和佐へ寄る時間がなかったので、今回は寄って来ました。
日和佐とは旧日和佐町で、合併して今は美波町となっております。来週からNHKの朝の連続テレビ小説の新シリーズが始まりますが、この大阪放送局制作の朝ドラ『ウェルかめ』の舞台となるのが、この徳島県海部郡美波町であります。
美波町は旧日和佐町と旧由岐町が合併して出来た町ですけれども、うちの実家のある牟岐町と3町が合併して美波町になる予定でしたので、そうなっていれば今頃は「今度の朝ドラの舞台はうちの田舎なのですよ!」と自慢もできていたところなのですけれども、別にだからどうしたっていう話しでもあります。
『ウェルかめ』というタイトルからも、結局はウミガメが上陸して産卵することで有名で、うみがめ博物館『カレッタ』もあり、四国霊場23番札所『薬王寺』もある旧日和佐町が舞台となるという事で、旧由岐町の方々も実際自分の町が朝ドラの舞台だ! というには微妙な感じではないのでしょうか? (実際には合併を体験せず、しかも実家から遠く離れて暮らしている中途半端なワタシからは地元の肌感覚は分かりかねますが)行政的に線が引かれただけで、日和佐は日和佐、由岐は由岐というのが正直な所なのでは? ドラマはまだ始まっていませんが、由岐には伊座利という魅力的な場所もありますし、勿論登場するのでしょう。わが町でもロケが行われたらしいですし、楽しみでは有ります。とはいえ、大部分は大阪放送局内のセットでの撮影なのでしょうが。
カメが産卵に訪れる砂浜は大浜海岸という浜で、ここは光が海に向かない様に街灯が設置され、産卵シーズンは車のライトが眩しくない様に、海岸沿いの道も夜間は通行止めになり、ウミガメ監視委員の方々が見回りに回るという場所です。この場所はワタシの本当に好きな場所で、高校時代の3年間はこの町に通学していたというのもあり、特に思い出深い場所でもあります。
大浜海岸の近くにはウミガメ博物館があり、ここには屋外のプールにウミガメが泳いでいるのですが、このプールが博物館に入館しなくても、出口付近や隣の国民の宿うみがめ荘の昔水族館があった辺りから見る事が出来て、昔からよく見に来ており、今でも帰省の度に寄るポイントでもあります。毎年夏が近づき暖かくなって来ると、思わず「海見に行きて〜! カメ見に行きて〜!」と叫んでしまいたくなるくらい、この場所に来たくなるのです。
『ウェルかめ』効果というにはちょっと早い感じではありますが、今日も大浜海岸は大勢の人が訪れていて、とても賑やかでありました。大浜海岸は遊泳禁止なのですが、今日は波が高いからかサーフィンをしている人も何人か居ました。ワタシも高校生の頃にはこの海で泳いだ事もありますが、サーフィンしてるのはあまり見かけませんでしたけれども、最近は多いのですかね? 子供がビショビショになりながら、勇敢に海と格闘している姿はとても微笑ましかったですがね。
ウミガメ荘でお土産を買ったり休憩をしたりしてると、木で出来たウミガメが置いてあり、そこに大きめの付箋にメッセージを書いて貼付けると願いが叶うかも? というコーナーがあり、面白そうなので1つ貼って来ました。ここに寄る機会がある人は、どうぞ探してみてくださいませ!
大浜海岸を後にし、薬王寺の下を経由して道の駅日和佐へ寄り道して帰宅。恒例のガラス拾いに今回はまだ行けてなかったので、夕暮れどきに内妻海岸へ駆け込み。内妻海岸はワタシが実家に居た頃は海水浴場で、海の家とかは無いにしても監視小屋が立ち、監視員もおりましたが、最近は海水浴場の認定は外されているのでしょう。ただ、昔からサーファーが多く、学生時代には夏休みにほぼ毎日通った場所でありますが、泳いでいると頭の先をサーフボードがかすめていくという危険な時もありました。あんなに毎日通ってた浜なのに、今日は何年ぶりに来たのだろうという感じ。とても懐かしい。辺りは暗くなりかけている時で、サーファーも誰も居ない。ガラスも思ったよりは拾えたけれど、暗くなって来てタイムアウト。雲も出て来て、今日は星が見えませんでした。明日は雨とかいう噂の徳島県南部。なんとかもってくれればいいのですが……。