パザ日誌

コラムというほど大袈裟でなく、日記というほど更新もできない。
ただ、pazapのメンバーが思ったことを書き綴るページです。


2003年10月10日(金曜日)----すぎもと

立場

新聞受けに某政党のチラシ。まぁそれはいいんですが、気になるのは支持者の欄です。お坊さんが仏教者の立場でコメント付きで応援してるんですね。泣きそうになりました。個人的に特定の政党の支持をするのは全然問題ないですけれど、仏教者の立場としてそんな事されると困ったもんです。仏教は宗教の立場で発言したらいいだけで、政治の立場では発言するべきでないと思います。

「生命との対話 人間・生と死のはざま 養老孟司 vs.ひろさちや対談集」(主婦の友社/ISBN4-07-214592-0)を読了。実はこの二人の対談があったなんて知らなかったんです。読みはじめたら面白かったんで、結局止まらなくなってしまって、全部読んでしまいました。養老孟司 さんの本はほとんど読んだ事がなくて、立ち読みで途中まで「バカの壁」を読んだくらいです。何か分かりませんけど、一種の先入観みたいなのがあって、ちょっと避けてた所があったように思うんですけど、ちょっと前にNHKでやってた特番を見てからは、ボクの中で随分イメージが変わりました。特に講演会で話してらっしゃるシーンがあって、その話があまりにも面白かったので、もっと続きが聴きたいと思った程でした。この本は対談以外にも、養老さんの講演会のお話も収録されていて、これが実に面白く興味深いものでした。「体と社会」というテーマなんですが、現代の日本には「体」が無いという話です。こういう切り口もあるのかぁ……という感じで、話に引き付けられる感じだったです。

一方、対談の方もボクとしてはとても面白く読めました。ただ、立場の違いから、最終的な着地点は同じ様な所なんですが、そこまでの持っていき方がお互いに違ってるので、人によっては感想は色々かなぁとは思います。養老孟司 的立場で読む人は「それはおかしいやろ!」とか思ったり、またその逆だったりという感じに。でも、対談の醍醐味はそこだと思うので、それはそれで面白いと思いました。対談の失敗っていうのは、立場が平行線で最後まで全然噛み合わなくてまとまらないか、初めからなぁなぁかだと思います。勿論対談の内容にも大きく関係してくるので、一概には言えないんですが。でも喧嘩になって「やってられるか!」って放り出す方がまだマシで、関係がズルズルでなぁなぁの対談が一番面白くないかも知れませんね。分かり合ってる関係なら余計に、着地点が分かってるんだから、あえて喧嘩をするべきだと思います。

ボクとしては、ひろ先生の本は色々と読んでますし、目の前で講演も何十回も聴かせてもらってますんで、だいたい持って行きたい所とかは分かります。だから、それに対する養老さんの反論とかはとても面白かったです。

それから、最後の方の脳死と臓器移植の話で、ボクがこの前のイラクの戦争で思った事がそのまんま、ひろ先生の発言にありました。以下引用します。

ただ、私の場合は、政治の問題と宗教の問題をいつでも分けて考えないといけないと思うわけです。戦争の問題でも、戦争が善か悪かといったら悪に決まってるんですよね。ところが戦争が必要か不必要かという問題は、政治的な状況としていつでも議論されていいんだと思うわけです。

ボクは善悪は宗教の問題で、必要性は政治的問題だというこの考えに共感します。これは脳死や臓器移植や戦争や死刑制度なども全てそうです。宗教者は宗教者の立場で、きっちり善悪について議論・主張すべきで、政治的問題は政治的問題として、それぞれの立場の人たちがちゃんと考えたらいいのです。それを宗教者が善悪を考えずに、必要論にすりよって行こうとする態度は、宗教としての役割りを全然はたしてない。それこそ必要ない存在になってしまいます。

だから、先のお坊さんの態度が、日本の宗教界の状況をモロに写してると思う訳です。


2003年10月09日(木曜日)----すぎもと

スケジュール・ソフト

Mac OS X用のスケジュール管理ソフト" iCal"のヴァージョンが上がった(v1.5.1)ので早速ダウンロードしてみました。もうがっくり。なにががっくりって、これはあくまで趣味の問題なんですが、ボクはあの引き出しの用に出て来るドローワーというのが大嫌いなんです。アップル純正のメール・ソフト"Mail"も、それが理由で初めから使うつもりが無くなった程です。まぁそれは GyazMaiという気に入ったソフトがあるんで問題ないんですが、このiCalもとうとうドローワーかぁ……とひとしきり嘆いてみて、でも一応使ってみたです。

ドローワーになったのは情報ウィンドウで、今までは、カレンダー内のスケジュールの所をダブル・クリックしたら新規ウィンドウが開いて、ここで詳細やらメモやらを書き留めてたんですが、それがドローワーになったのです。試しにドローワーを出してみたら、出ない……。あれ? と思ってると、普段はだいたい一週間の予定を画面一杯に出しているので、本当は出てるんですけど、画面の外に出てて分からなかったんです(笑)。どうもドローワーの分がはみだすと、その分はメインのウィンドウを縮めてくれるという気の利いた演出は無い模様(笑)。これではあまりにも使いづらいという事で、頭に来て沸騰した頭を冷やす暇もなく、アップルにフィードバックとは名ばかりのイチャモンを送信しておりました。オドレ、ナニサラシトンジャ! なんて書いた訳じゃないですけどね。

でも後でよーく考えてみると、自分の認識不足な面が分かって来たんですよね。例えば、今までの使い方が慣れてるせいで、情報ウィンドウっていうのは詳細が見たい時だけに出すもんだ……という感覚な訳です。でも実際問題として、カレンダー内に貼付けた限られた文字数の枠内だけで、それが何かを判断できない場合は多いんですよね。例えば、見たいテレビ番組があって、忘れない様にメモしてた時。その番組名が「木曜サスペンス劇場、秋の古都京都で消えた人気舞子!祇園の裏路地に潜む黒い怨念と復習!史上最強の超ゴージャス舞子探偵とペットの子豚ちゃんが暴く完全犯罪のトンだトリックとは?」で、しかも三十分番組だったら、もうお手上げです。だから、いちいち情報ウィンドウを出すんじゃなくて、常に出したままにしておいて、簡単なタイトルをつけたのをカレンダーに貼付けとけば、それをクリックすれば横のドローワーに詳細が出ると。そういう事なんですね。そう考えると、今までの方が使い難いや……とかって思えて来るから不思議。それにこの方式だと確認だけなら、一週間表示じゃなくて月刊表示の方が便利なのにも気付きました。なんだぁ、スケジュール・ソフトっていうのはこういう事だったんだなぁ……という感じで(実は使いこなしてないし、使いこなす知識もない)、変なイチャモンを送った自分が妙に恥ずかしいやらカワイラシイやら(笑)。

どっちにしてもドローワーが画面をはみ出すってのは頂けないと思いますんで(多分)、フィードバックは適当な部分もあるんじゃないかとは思いますが。


「人間そっくり」(安部公房/新潮文庫/ISBN4-10-112112-5)を読了。今日のBGMはFrank Zappa"You Can't Do That On Stage Anymore Vol.2"でした。通称「ヘルシンキ・コンサート」とか「ヘルシンキ・テープス」って呼ばれてるCDです。これが二十九年前の演奏かぁ……と溜め息が出る凄い演奏。勿論テクニックだけじゃないのは言うまでもないんですが。

しかし昨日の"King Kong"ってアルバムも三十三年前のアルバムで、名演奏っていうのは年を取らないですね。そういえば、前に W.I.N.S(←孝三センセの名前が「菅沼幸三」となってるのは内緒です・笑)がジャン・リュック・ポンティの曲をライヴでカヴァーしてた事があって、無茶苦茶かっこ良かったんですが、あれは何と言う曲だったんだろう?


2003年10月08日(水曜日)----すぎもと

キング・コング

昨日書いたヤモリさんを発見。

ヤモリさん

ちょっと透明感のあるグレーって感じで、気持ち悪いっちゃあそうなんですけど、よく見ると足の指とか小さくて可愛いかったりします。全長は12、3センチって所でしょうか。まぁこれも縁という事で、放し飼い状態にしてるんですが、次見かけたら外に逃がしてあげようと思っとります。また入って来そうな感じもしますが……。


「箱男」(安部公房/新潮文庫/ISBN4-10-112116-8)を読了。晩飯の後から読みはじめて、「帰ってきたロッカーのはなこさん」を見ただけで、ずっとこの本を読んでました。ニュースもネットも見ないでずっと本を読んでると、ちょっと箱男になった気分がしました。生活がいつの間にかテレビやネットに依存し、本物か偽物か分からない情報の渦の中に飲まれて、グルグルグルグル目が回ってる様な気が最近してるのでした。洗濯をしながら、洗濯物がグルグルグルグル回るのを見てるのが結構好きな、ちょっと歪んだ性格のボクですが、あまり目を回さない様にしなければと思います。

晩飯のBGMはFRANK ZAPPAの"Orchestral Favorites"でジャズよりは和食に合う感じでした。最近みそ汁の具にしてハマっていた「あおさ」が今日の分で無くなってしまったので、ちょっと悲しいです。この「あおさ」は乾燥した「青さのり」で、人から貰ったモノなんですが、三重県産の「ヒトエクサ」というものらしいです(そう袋に書いてありましたから)。みそ汁の具にするとかなり美味しくて、ワカメとはまた違った食感と味わいがあります。今日のみそ汁は昆布とかつお節でとった出しに、たまねぎだけを入れたみそ汁を、「あおさ」を入れておいたお椀に注ぎ入れるというだけのシンプルなもの。いや、本当は「あおさ」だけを具にした方がベストなのかも知れないほど、シンプルなみそ汁に合いそうです。豆腐と「あおさ」ってのもいいですね。

本を読む間のBGMはJean-Luc Ponty(Vn.)のソロ・アルバム"King Kong"( →Amazon.co.jp)をリピートさせてました。Blue Noteから出てるやつで、六曲中五曲がFrank Zappa御大の作品で、Jean-Luc Pontyの曲ではギターも弾いてます。改めてこのアルバムを聴いてみたら、素晴らしいアルバムですね。インストが好きな人のZappa入門は、逆にこのあたりから入るといいのかも知れません。特に出だしの部分がいつも美しすぎてクラクラする二十分弱の大作"Music For Electric Violin And Low Budget Orchestra"は最高です。気持ちのいい現代音楽とジャズ・パートが混じり合って絶妙で、単にソロ回しで長い訳ではない所がZappa御大らしいです。それに最後の方は曲名には出てないですが"A Pound For A Brown(On The Bus)"になってるんですね。

4回はリピートしたので、pazapのこの前のスタジオの演奏をCDに焼いたモノ(これはメンバーに配布するためのものです)に替えてみたら、もう演奏が気になって気になって、全然本に集中できないのですぐにヤメました(笑)。自分のはとてもBGMにはなりません。特に本を読んでる時には絶対に無理ってのが良く分かりました。


2003年 10月 7日 火曜日----すぎもと

ヤモリさん

図書館で借りていた「けものたちは故郷をめざす」(安部公房/新潮文庫/ISBN4-10-112103-6)を読了。面白かったので、家にある筈の本を探してみると「箱男」と「棒になった男」とかを発見しました。実家に持って帰ったんじゃないかなぁと思ってたので、ほっとしたりしてます。読んだのは随分前で内容なんかあまり記憶に残ってないので、読み直すというより初めて読むといって良いのかもしれません。なんせ、この本を発見するまで「棒になった男」が小説だと思ってましたから(実際は戯曲)。まずは「棒になった男」から読み出すことにします。いや、それより図書館で借りてる本がまだ三冊読み切れてないんですけど……。


数日前、帰宅して玄関のドアを開けたら、ドアから差し込んだ外灯の蛍光灯の明かりに何かの影が。一瞬どこでもドアでガラパゴス諸島にでも来たのかと思ったら、影の主はイグアナではなくてヤモリでした。すぐにまた出かける用事があったので、ヤモリさんの上をヒョイとまたいで(逃げないんだ、これが)荷物をもって出かけて、次に帰って来た時にはもう居なくなってたんです。

そのヤモリさんが昨日また部屋の中に登場したんですよ。ビックリ! というより「やぁ、久しぶり。どう、元気だった?」っていう様なリアクションの自分にビックリでした。ペットかよ! という感じで。しかしヤモリさん、どこから入って来たんだろう……っていうのは別にいいんですが、この数日間アンタ何処に居たのよ(笑)。あまり部屋の中をうろうろされて、小さいのでG4の中に入ったりして感電されたりしても困るので、そろそろお引き取り願おうと思ったんですが、そんな時に限って逃げ足が早い(笑)。結局見失ってしまってしまいましたとさ。しかし本当にどこに居るんだろう?


それはさておき、今日はゴミの日で、大きいゴミ袋に四つのゴミを出して、随分と部屋の中がスッキリとしました。日曜日に部屋の掃除をしたら大量のゴミが出て、ここ二日間はゴミに埋もれて生活してるよう(ちょっと大袈裟)だったのです。捨てるという行為は結構大変ですね。プチゴミ屋敷から解放されて、晩ご飯はテレビも見ずにチック・コリア・ニュー・トリオのアルバムを聴きながら食べました。ここ最近はできるだけテレビを見る時間を減らそうとしてるのです。さして面白くもない番組でも、見てる訳でもなく常にテレビが付いてるっていう生活がちょっと嫌になってきまして、それならばできるだけ音楽を聴いたり、本を読んだりしようという事なのです。それで今日はチック・コリアのトリオとか、ケニア国立舞踊団の「ルーツ!!アフリカン・ドラム」っていう民族音楽とかを聴いてたんですが、鉄火丼とか”あおさ”のみそ汁(これが美味くて最近はまってます)とか煮豆とかにジャズは合いませんね。着流しにブーツ履いてる様な居心地の悪さがあって困ったもんです。

この「アフリカン・ドラム」っていうアルバムを聴いてて面白かったのは、主にパーカッションだけで演奏される曲中に、”3ー2”のソン・クラーベのフレーズが登場する所があるんですよ。こういうのがアフリカの音楽から出てくるという所がちょっと興味深かったです。タイトル通り、本当にルーツなのかなぁと思いました。ラテン音楽にもアフリカ音楽にも(それどころか日本の音楽にも)明るくないので、詳しい事はよく分からないのですけれど。


最後にテレビの話も書いちゃいますが、「新・ロッカーの花子さん」は記者会見で、前シリーズに出てなかった草刈正雄さんが居たので、ひょっとして風間杜夫さんや引っ越しのサカイの人(笑・名前が分からなかったりします、この人。いつも「サカイ」とかって呼んでるし)の代わりかと思ったら、本日二人とも登場して安心しましたです。この二人のボケっぷりは結構好きだったんで。それから秘書の人もいいですね。

あと、筑紫哲也とか、キャスターは結局ずっと「サダム・フセイン」の事を「フセイン」だけで呼んでるのは一向に直りませんね。「サダム」だけが名前で、「フセイン」はお父ちゃんの名前やっていうの、知っててあえて言うてんのか? 「貞吉っつぁんトコの留五郎はん」っていうのを「貞吉」だけで呼んでるのと同じなのに。ホント不思議。


2003年10月06日(月曜日)----すぎもと

ポリリズム練習帳(その2)

今日の落選、今日も落選……。

【太陽の塔内 特別公開】
落選のお知らせ
 この度は、「太陽の塔内 特別公開」へご応募いただきまして、ありがとうございました。
 2万4千通(多数の方が1通で参加人数3〜4人と記載)を越える応募があり、厳正に抽選いたしました結果、あなた様は残念ながら、今回落選となりましたので、ご了承ください。

前にも書いたと思いますが、三十三年ぶりに太陽の塔の内部が公開されます。次の土曜日と日曜日だと思いますが、それに往復はがきで応募してたんですけれど、その結果という事です。残念。しかし、2万4千通という往復はがきに全部返信するなんて、考えただけでも嫌になってきますね。宛名の「行」を「様」に変えるだけでもやりたくないです。楽しいのはせいぜい五十通まででしょう。


さて、昨日のポリリズムの話のつづきなんです。昨日は1拍5連、2拍5連、4拍5連などと、1拍、2拍、4拍と例を出しました。では3拍は? と思われる方もいると思いますので、今日は3拍の練習です。

3拍ということで3拍子という事になりますが、3拍で解決させるには「3でグルーピング」したらいいのです。3連はそれ自体ですでに3分割になってるので省略して、今回は4連、5連、7連です。

まづ4連、つまり16分音符を3で割って行きます。例によって3分割した最初の音にアクセントをつけていきます。あとはアクセント以外を休符にしたら3拍4連の出来上がり。

3拍4連

次は5連符。同じ様に3分割して頭にアクセント。これで1小節が均等に5分割されてるのが確認できるでしょう。アクセント以外を休符にして3拍5連にします。2小節目の記譜法の"5:6"っていうのは、後に付いている音符(この場合8分音符)が均等に6個あるべきスペースに均等に5個の音が入ってるという意味です。音符が省略されたり、比率でなくて単に"5"とだけ書かれる場合など、色々あります。

3拍5連

最後に7連符。やり方は同じです。遅いテンポから練習するっていうのは、これに限らずでしょうけど。こういうのは特に、遅くやらないと初めは絶対無理ですよね。

3拍7連

以上です。


さてさて、今日から「ロッカーの花子さん」の新シリーズが始まりますですよ。午後十一時から。楽しみ楽しみ。


2003年10月05日(日曜日)----すぎもと

ポリリズム練習帳(その1)

今日はpazapのリハ。ここ暫くやってなかったセッションのコーナーを復活させました。今回からは持ち回りで一人がフレーズを出して、それに合わせる形でセッションを開始します。進行や終わり方とかは基本的に決めず、他のメンバーとのアイコンタクトなどを駆使して曲を成り立たせます(もしくは崩壊させます・笑)。次が読めないので良い緊張感があって、あらゆる神経を集中してなんとか曲を自分なりに成立させようとしますが、「自分なり」がそれぞれ違う訳で、それを探るのが楽しくも有り、そのギリギリ最小限の妥協が成立した所が面白いんですよね。今のメンバーでそろそろ曲に慣れて来た所で、音楽上のコミュニケーションの強化をはかろうというのが狙いの一つだったりします。このセッションの中から面白い曲とかが出て来たら、このサイト上にもアップしていきたいと思ったり思わなかったり……(どうなるでしょ?)。


さてさて、BBSにてポリリズムについて検索から来て頂いた方から「ためになった」と言って頂いて、喜ぶやら踊るやら飲むやら食べるやらしているワタクシですが、同時にちょっと責任も感じてきてる今日この頃。実際ボクのリズム知識やドラム・テクニックなんてまったくのダメダメなんですよね。だから色々と悪戦苦闘してる訳で、その悪あがきの備忘録をこうして公開してる訳なんですが、ぜんぜん内容がまとまってないんですね。なんせ「悪あがき」とかなんで。実際ボクの頭の中も散らかってて、まったくまとまってないんです。でも、試行錯誤してちょっとづつ考えがまとまってきたりしたら、このサイト上の情報も日々まとまっていくと思いますので、それまではこういう支離滅裂な内容におつきあい頂くなり、またバカにするなりしてみて下さいませ。はははは。


前に漠然とポリリズムっていうのを理解してた時に、Player(音楽誌)に連載してた菅沼孝三先生の記事にポリリズムのエクセサイズがあったのです。そのエクセサイズとして紹介されてたのは5連符とか7連符とかだったのです。例えば1拍5連から2拍5連、4拍5連としていくもの。当時これがなぜポリリズムなのか、まったく謎でした。その後、ヴィニー・カリウタの師匠であるゲイリー・チェイフィーの有名な教則本「パターンズ」を見ても、ポリリズムの練習は5連とか7連とかが出てくるんですよね。ポリリズムっていうくらいだから、「音符」でなくて「拍子」の事だと思いがちなので、この辺りが混乱してくるんですよね。

今では「ポリリズムとは?」って聞かれたりすると、「誤解を恐れずに言うと『奇数連符』の事」と極端に言い切ってしまいたくなります。少なくとも西洋音楽の体系に入ったポリリズムではそう言ってしまっていいのではないでしょうか?

でも、これは例えば一人、もしくは全員が一斉に2拍5連を演奏してもポリリズムになるという意味ではありません。一般的に演奏される16ビートの曲やシャッフルの曲の中に、5連や7連とかのパターンやフレーズが重なった時にポリリズムが生み出されるんですね。もうちょっと分かりやすく言えば、シャッフルの曲中にイーヴンな8分音符のフレーズを弾いたり、16ビートのダンス・ナンバーに3連符のフィルインを叩いたりするのも、その部分はポリリズムなのです。

8分音符をプレイしてポリリズムなら、「奇数連符がポリリズムだ!」っていうのは嘘やないの? って言われそうです。だから厳密に言うと「奇数連符がポリリズム」っていうのは、全てはそうではないですよね。イーヴンな16ビートな曲上(これは8ビートとかも含みます。同じパルス上に存在しますから)では奇数連符はポリリズムを感じさせますし、3連のシャッフルではイーヴンな8分音符や16分音符がポリリズムを生みます。

例えば16ビートの曲というのは、基本的に16分音符のパルス上のどこか(もしくは倍の32分音符も含みますが)で音が鳴ってる訳で、そこへ3連とか5連とかが入ると、1拍を均等に32個に割った線上に存在しない位置に音が鳴ります。これがちょっとアウトした変な感じを生み出して、それを効果的に使って絶妙な緊張感を与えるのです。

ただ、ポリリズムを「絶妙な緊張感」だと感じるかどうかっていうのは、個人的な好みによります。ある意味タブーな場合もあるので、「間違ってる」と指摘される場合もあります。使い方の用法、容量を間違えずに服用しましょう。基本をちゃんと押さえて、その上で「あえてやってるんだ」っていうのをさり気なく出さないといけないです。でも一番大切なのは、センスなのでしょうけどね。

センスを磨くには、やっぱり練習しかない――という事で、お気まりのポリリズムの練習を。

まづ3連符です。1拍3連から一つ置きにアクセントを入れるとアクセントが2拍3連になります。アクセント以外を休符にすると2拍3連。それをまた一つ置きにアクセントをつけるとアクセントが4拍3連になります。アクセント以外を休符にすると4拍3連の出来上がりです。

3連

まったく同じやりかたで5連符

5連

さらに同じく7連符

7連

1小節あたりのリピート回数とかは、各自で設定するなりして練習してみましょう。


2003年10月04日(土曜日)----すぎもと

当日券と前売り券

「カンガルー・ノート」(安部公房/新潮文庫/ISBN4-10-112124-9)を読了。

文中に何度か「ピンク・フロイド」というのが出て来たのだけど、ひょっとしてお好きだったんでしょうかね? 試しに「安部公房 ピンク・フロイド」というキーワードで検索してみたら、確かにいくつかのサイトがヒットします。ピンク・フロイドをBGMにして、この小説を読むっていうのもオツなものじゃないでしょうか。合いそうな気がします――とまったくテキトーな事を書いてますね。うちにピンク・フロイドのCDなんて一枚もないんですから(笑)。

実はBGMはチャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルトや、ドヴォルザークの交響曲第八番だったんです。これはKBS京都のテレビ番組で、先月に行われた京都コンサートホールのライヴ録画だったんです。安部公房とはあまり合いませんでしたけど、なんか懐かしい感じでした。まぁそれはいいんですが、読みながらチラっと画面を見てみると、ムカムカしてくるんですよね。何故かというと、このコンサートの客は往復はがきで応募して当選した人達なんです。いや、それじゃあボクが落選したから妬んでる、逆切れ粘着ベトベト人間のようですけどポイントはそこではなくて、空席が結構あるんですよ。落選して聴きに行けなかったものとしては「何でじゃー!」ってなるでしょ? 最前列とか五、六席は続けて空いてましたし、舞台奥の席なんて一杯あいてる席がありましたよ。

勿論都合が悪くて行けない人がいても不思議ではないけれど、ひとりで何通もだしてたまたま複数で当たったり、後はお気まりの「関係者招待席」みたいなのがあるんでしょうね。そんなんだったら、空いてる分の当日整理券だせ! と言いたいです。空けとくのもったいないでしょ。スーパーの賞味期限切れ近い商品が安くなるとか、当日空いてる部屋が有ったら格安で泊まれるホテルとかのサーヴィスがあるんだから、こういうコンサート(いや、普段のコンサートもそうです)は当日安くしてみたらいいんですけどね。そういえばコンサートとかそういうのは、当日券の方が高いですよね。こういう常識引っくり返してみたらいいのに。


当日券の次は前売り券の話で、久しぶりにチケットぴあでチケットを買ったのです。ボクの行きたいなぁとか欲しいなぁ――っていうものを メモしてあるページにもメモしてあるんですけど、十一月一日に京都造形芸術大学の学園祭である"Border Line"っていうライヴです。初めて栗コーダー・カルッテトを生で見られるので嬉しいんですけど、高野寛さんのバンド Nathalie Wiseも出演で楽しみです。She's Pippiもかなり興味あるんですけど、何と言っても岸野雄一&フォルティータワーズでは菊地成孔さんのサックスが聴けるのでかなり楽しみですね。おまけに菊地さんのポリリズム講義っぽいのや、岸野さんとの対談もあるのだとか(これは別イヴェントらしい)で、目眩がしそうなイヴェントですね。

んで僕が『リズムの訛りについて』1時間
岸野さんが『音楽の伝え得るもの』1時間
んで、対談と質疑応答に1時間  

この前の精華大学の講義では、そんなにポリリズムについての解説が無かったので、今回はタイトル『リズムの訛りについて』っていうのも含めてワクワクしますです。


2003年10月03日(金曜日)----すぎもと

本に呼ばれた日

スラッシュドット・ジャパンで安部公房の話題が出てましたけど、ちょうど道場の行き帰りの電車の中で安部公房を読んでたので、非常にタイムリーな話題でした。今年は没後十年なんですね。久しぶりに読んでみて思ったのは、好きな文書だなぁ……という事でした。言い回しとか表現方法とか、そういうのが読んでて気持ちいいんですね。例えどんなに下らないストーリーだったとしても、気持ち良く読めそうな感じがしました。音楽でもそういうのあると思いますが、文章でもあるんだなぁというのを感じました。

「カンガルー・ノート」(安部公房:著/新潮文庫/ISBN4-10-112124-9)という作品を読んだんです(まだ半分くらいまでしか読めてないのですが)。 すね から<かいわれ大根>が生えてくる男の話なんですが、この設定は絶妙ですね。場所が脛っていうのもそうだし、なんといっても<かいわれ大根>というのが絶妙すぎます。これ読んでしまった後の「秋の夜長の読書シリーズ」は、安部公房特集にするとしますか。「箱男」とか「棒になった男」とか、部屋を探せば出てくると思うので、改めて読み直してみたい気分です。

ドラム道場の今日のレッスンは、いつものようにエクセサイズをスローからファストまで、三段階でやってから毎回違う課題曲コーナーへ。今日もラテン系の課題だったのですが、ラテンは苦手なので案の定ボロボロでした。いや、ラテンでなくてもボロボロなのですが(笑)。でもあまりにも酷すぎるので、ラテン強化月間にしたいと心で誓いました。練習するぞ! なんならラテンのパターンの新曲を作って無理矢理練習せざるを得ない状況に追い込むという、まぁいつもの手なんですが、その方向で検討してもいいかなと思いました。ラテンって拍の頭にバスドラを踏まないので、ロック系の人には慣れるまで大変なのですが、逆にプレイの幅を広げるにはもってこいの練習ですよね。さて、本当に克服できるのか……?

いつもの電車で行くと、道場へ向かう前には十五分くらい時間があるので、途中のブック・オフへ寄る事が多いです。今日も寄ったんですけど、本もCDも欲しいのが見つからなくて、時間もないので店をでようと歩いてる時、横目である名前が飛び込んで来ました。おお、この本は前から読みたかった本! しかも帯付き!! という事で購入。店を出る時に時計を見たら、もうレッスンが始まる時刻でございました。こりゃだめだ――と猛ダッシュでぎりぎりセーフだったのでした。

見つけた本は「あべこべの論理学」(増原良彦:著/日本書籍)という本で、昭和五十三年の本ですから、ボクが八歳の頃に出た本です。著者の増原良彦氏は、ボクが尊敬する宗教評論家ひろさちや氏の本名なのでした。宗教関係以外の本には、本名で執筆されてるんですが最近はそんな事もないようですね。しかし、横目でピンとくるとは、我ながらビックリでした。


2003年10月02日(木曜日)----すぎもと

クラムボンと口琴

まつむらまきお さんのブログ MakionLogで知りましたんですが、ティム・バートンが監督でロアルド・ダール原作の「チョコレート工場の秘密」を映画化するんですね。またまたジョニー・デップが出演で、プロデューサーはブラッド・ピット夫妻なのだそうな。公開は二〇〇五年だそうでまたちょっと先なので、明日にはすっかり忘れてしまって、公開前に思い出して喜びたいと思ってます(笑)。


クラムボンの"id"っていうアルバムを聴いてるって書きましたけど、個人的趣味からしたらこのアルバム、あまりひっかっかてこなかったです。でもこういうパターンは、聴いてたらハマってくる事が多いので、そのうちここに「聴きまくりです!」なんて書きそうな気もしますが。リハをそのまま録音した様な「海の風景」っていう曲はけっこう好きです。この録り方は狙って録ったんでしょうかねぇ?

それよりも、その次の"eel restaurant"っていうインストが気になりますね。なんせ口琴ビョンビョン入ってます! インストって言っても、ちゃんとテーマがあって――とかそういうんじゃなくて、コラージュ的な感じです。そういうのにタブラとか口琴が入ってまして、ビョンビョンいってます。誰がビョンビョンしてるんだろうと思って歌詞カードの後ろの方を見てみると、Ayayaさんだとか。Ayayaさんって、あの 倍音SのAyayaさんですよね。くー、カッコイイっすね。もちろんタブラも。倍音Sも生で聴いた事ないし、関西方面に来ないかなぁ。

口琴といえば、ちょっと前に図書館で見つけた本「楽器の考古学」(山田光洋/同成社/ISBN4-88621-170-4)に口琴の事が乗ってました。

口琴を見せたりビョンビョンさせたりすると、「あ、モンゴルの楽器」なんて言われる事があるんですが、実は結構広い範囲で使われていて、日本では大宮市の氷川神社というところで平安時代の金属製の口琴が二点見つかってるのです。きっと大陸から伝わって来たものなのでしょうね。この本によりますと、神社の近くから発見されている為に、神事に使われた可能性があるとか、いや、個人的に使ってた可能性もあるとか――まぁ、はっきりと分からないというのが面白い所なのですよね。

日本ではアイヌの「ムックリ」という木製の口琴が有って有名ですが、「口琴」という楽器自体の認知度はそんなに高くないですよね。でも、テレビを見てると毎日の様に効果音として「びよよよーん……」って聞こえてきます。「ど根性ガエル」の効果音でも有名ですし、このへんてこで愛らしい音自体はけっこう日常の中にあるんですけどね。

金属製の口琴は江戸時代には「びやぼん」と呼ばれてとても流行したそうで、お上から禁止された事もあるのだそうです。

しかし、クラムボンと口琴かぁ……。うちも「くらむぼん」って曲で口琴使ったろかしら(笑)。いや、実はすでに「くらむぼん」では使おうとした事があって、でもまわりの音がうるさすぎて、口琴の音がなかなか聴こえないんでボツになったんですよね。


夜の図書館に借りてた本をどっと返したついでに、前から読んでみたかった「今西進化論」関係の本を二冊借りて来てみました。あと「『辺境』の音」っていうストラヴィンスキーと武満徹の本も借りました。読みたい本が一杯あって(理解出来るかどうかは別ですが)、まさに読書の秋って感じです。そろそろ「趣味、読書」って書いてもいいでしょうか?

関連サイト

2003年10月01日(水曜日)----すぎもと

みなみ会館とフレスコに挟まれた一通の脇を、散歩しているチワワを見ていると、女優の田畑智子さんを思い出しました。もう目の辺りがそっくり。そう思って見ていると、チョコチョコとせわしなく歩く足取りも、何故か「タバタ・タバタ……」と3連を刻んでいるようで楽しくなってきます。あぁ、フジテレビの「救命病棟24時」の続編はもうやらないのかなぁ……って思ったりしながら、検索でヒットしたプロフィールを見てみると、なんと京都出身だったのですね。ひょっとしてあの犬は……実家の愛犬? ――という程そっくりでしたのですよ。


昨日は書こうと思っていた内容からいつの間にか脱線して、思いもよらない着地点に降りてしまったので、今日はそのつづきを。『高校生のための実践演劇講座』という本に載っていた、「熱海殺人事件」の戯曲を読んでたという話です。その冒頭の解説がとても面白かったのです。

つか氏が高知県へ行った時に、そこで行われてる芝居が、相変わらず「熱海」だったり「六本木」だったりするのをどうして脚本を書き換えてくれないのかというんですね。客に知らない地名をそこに出すより、「桂浜殺人事件」にした方が臨場感が出るだろう――と。普通、原作者なら一字一句原作通りにやって欲しいものかと思いがちですが、芝居を作る時には直接口だてをして、六〇パーセントは役者に作らせてもらってる――と言う、つか氏らしい感覚なのでしょうね。

例えばpazapの新曲を作る時には、ある程度形にした状態でメンバーに渡すのですが、それをそのままプレイされると困ってしまってワンワンワワンって思うものです。勿論基本的な構造や仕掛けがあるので、その部分は作曲者として譲れない部分もあったりするんですが、それ以外はどれだけより良く壊してくれるか――っていうのが楽しみだったりするんであります。お! そうきたか――とゾクゾクしたりするのがいいんですね。なんかそういう事を考えてしまいました。

あと凄いなぁと思ったのは、つかこうへい事務所のサイトに「 上演台本について」っていうページがあって、脚本がダウンロード出来るんですね。そのページにはこういう記述があります。

営利を目的としない、2000円〜3000円でやる小劇場や学生さんの小さな劇団等の方の上演料はいりません。自由におやり下さい。お知らせだけ郵送でくだされば結構です。

芝居というものに対する愛が感じられて泣きそうになりました。それと同時に、これは音楽界ではあんまり考えられない事じゃないかと思いました。どういう事かというと、JASRACとかに著作権登録してる場合だと、自分の曲でも自由にならないからです。つまり自分の曲を(入場料をとって)演奏するにも、自分で使用料を払わないといけないんですよね、多分(違ってたらすみません)。ずっとさだまさし氏のサイトにあった歌詞集がいつの間にか無くなったのは、多分そのあたりを指摘されたからだとボクは思ってます。そういう不自由さからでしょうか、佐野元春さんとかみたいに自作の管理は自分の所でする人とかも出て来てます。だから佐野さんのサイトには歌詞もコード・ネーム付きで公開したり出来てるんだという事だと思います。

こういうの、太っ腹! っていうんじゃなくて、やっぱり愛を感じます。


『「愛国」問答 これは「ぷちナショナリズム」なのか』(香山リカ+福田和也:著/中央公論新社/ISBN4-12-150087-3)を読了。何故日本人はマクドナルドを破壊しないのか――という対談で面白かったです。

関連サイト


pazap研究室 all rights reserved.