コラムというほど大袈裟でなく、日記というほど更新もできない。
ただ、pazapのメンバーが思ったことを書き綴るページです。
つかこうへい氏の文章で一番印象に残ってるのは、高校の頃に読んだ小説(確か『ハゲ・デブ殺人事件』だったと思います)のあとがきか何かで書いてあったものでした。新聞の見出しに「美人看護婦が殺害される」(こまかい記述は忘れましたが)という様な記述があるのを批判したもので、「それじゃあ、ブスが殺されたら『ブス看護婦が殺害される』と書くのか!」っていう様なものでした。こういう発想の面白さと痛快さに惹かれて、つか作品の虜になったのでした。
そういう事をふと思い出したのは、『高校生のための実践演劇講座 第3巻 演出論・演技論篇』(監修:つかこうへい/協力:北区つかこうへい劇団/白水社/ISBN4-560-03557-1)を読んだからでした。
この本は、芝居を志す人の為に「熱海殺人事件スペシャル一時間バージョン」の戯曲に、つか氏の解説が要所要所で入ったものです。この戯曲の中にブスに権利があるか!
とか、ブスだったら多少刑が軽くなるなんて日本の法律は進歩的じゃないのよ
とか、ちょっと差別的だ――と誤解を受けかねない台詞が色々と出てくるのです。勿論これはパラドックスな訳で、全体で見ればそれは分かる訳ですけれど。
これは「美人が殺害される」という新聞の見出しが、そのままで「ブスが殺害される」というのと、さかさまに引っくり返しただけの同じ意味だというのを、もしくは、いずれ実際に「ブスが」という見出しが出るんじゃないかというのを逆説的に批判したものだと思います。表現方法としてボク的にはこの裏っかえしの方法は大好きで、ストレートに批判するよりも逆に効果があると思うのですが、やっぱり批判も多かったのだしょうね。
ボクは前からあるストーリーを持っていて、これはボクが小説とか戯曲を書く能力がないので実現してないんですが、物語のアイデアは持ってるものがあるんです。それはこういう話です。
「ある人が交通事故で脳死になって、事前の本人の意思もあり、かつ遺族も了承したので臓器を提供する事になった。提供した男は健康になり、その後何かのキッカケで殺人を犯してしまう。風の噂でその事実を知ってしまった臓器提供者の遺族は、そんな非道な事をするやつだと知ってたら提供に了承はしなかった。だから提供した臓器を返してくれ――という裁判を起こして認められ、臓器は遺族に返還された」と、こういう分かりやすい話なんです。物語に出来ないにしても、これをラジオのニュース風にして、わざわざ美しいインストの曲の後ろで淡々と流したりしようと思っていたのでした。
最近、図書館でつかこうへい氏をゲストに迎えた対談を読んでいたら、(何年か前の対談の様でしたが)すでにそういうケースが実際に起こったのだとかいう話が話題になってました。正確ではないですが、だいたいこんな感じです。アメリカかどこかの夫婦が居て、夫が病気の妻に腎臓を提供した所、元気になった妻が浮気をしたので、それに怒った夫が離婚と肝臓の返還を求めて訴訟を起こした――とか、そういう話でした。つか氏は芝居は現代を批判していく責任があるのに、今は現実社会の方が先に行ってしまって追い付いてない――みたいなコメントをしてたと思います(すいません、うろ覚えですが)。
そのうち日本でもこういうニュースを聞く日が、そう遠くない未来にやってくるんじゃないかと思ってしまいます。臓器移植の件でもうひとつ思い出しましたが、何年か前にひろさちや先生が講演会で、「脳死者に『死』を認めた後に待ってるのはボケ老人です。そのうち『ボケ老人は殺しても良い』という風にエスカレートするでしょう」という様な事を言われた事があったのです。流石にそんな事まではする訳ないだろう――と思ったんですが、その何日か後の新聞の一面に「痴呆症に安楽死を認める法案が提案された」みたいな記事が実際にあって、ヘナヘナと腰を抜かしそうになった事がありました。その後にその案はどうなったのか知りませんが、面白い冗談だね、あはははは――と笑ってるうちに現実に実施される日が訪れるのかも知れません。
まさに事実は小説より奇なり――ですね。これこそ、まさにホラー小説です。
そういう訳で聴き込んでいるDCPRGのセカンド・アルバム"Structure et Force"(構造と力)なんですが、いやぁ、このアルバムは卒倒しそうな程かっこいいアルバムです。しびれまくり。5曲目がダサくてホント最低
なんて感想がありましたけど、五曲目(構造5ー寺院と天国の構造)なんてボクには無茶苦茶かっこいいですよ。特に途中のブラスのテーマが出てくる所とか、それから4拍子から3拍子にメトリック・モジュレーション(簡単に言うと、前後の脈略があるテンポ・チェンジ。この曲では2拍3連が次の1拍になってテンポ・チェンジ)する所とか、また戻る所とかカッコ良すぎです。
それでも個人的には一曲目の「構造1ー現代呪術の構造」(1は正しくはギリシャ数字)のポリリズムにしびれまくりです。今は P-Vineのデートコースのサイトに菊地さんによる全曲解説があって興味深いですが、その中の「構造1」から。
ここでの構造は4分の4と4分の5。つまり4拍子と5拍子が同居している。というのが特徴で、いわゆる前作の「プレイメイト・アット・ハノイ」のような、 12素数の割り切れるコスモス・ポリリズムではなく、片方から見るとスクエアなリズム(5拍子で取ると、16分音符を基調にしたハウスみたいに聴こえる)だが、 片方から見ると「訛って」聴こえる(4拍子で取ると、津軽民謡とか、アフリカ民謡みたいなつんのめったトライヴァリックが聴こえる)という物になっています。
→blues interactions/DATE COURCE PENTAGON ROYAL GARDENより引用
12素数の割り切れるコスモス・ポリリズム
という面白い言葉が登場してて興味深いです。コスモ・ポリリズムって言うのかぁ……。
このあたりをボクの頼りない知識で説明いたしますと、例えば「プレイメイト・アット・ハノイ」は3と4のポリリズムなのです。これは4分の3拍子で考えると、16分音符が1小節に12個になります。それを4個ずつのグルーピングで3拍子になってる訳です。それを3個づつのグルーピングにしようと思うと、12ですから3で割り切れる訳です。グループの頭にアクセントを付けてみると、1小節が均等に4で割れました(次の譜例の1小節目参照)。これが菊地さんの言う所のコスモ・ポリリズムという事なのでしょうね。両方を4分の3拍子で記譜するんじゃなくて、分かりやすい様に4のパートは4分の4拍子で記譜しますと、次の譜例の2小節目になります。1小節の長さは同じで、一つ一つの音も16分音符と感じるか3連と取るかによって違ってるだけですが、実際は同じ長さなのでどちらかに片寄って聴く限りは「訛り」は分かりません(これを”無い”と言えるかはよく分かりませんが)。
同じ様なパターンで、今回の「構造1」と同じ4と5のポリリズムも考えられます。4分の5拍子で考えてみますと、1小節に16分音符が20個あります。4でも5でも割り切れますね。16分音符4個ずつグルーピングすれば5つのグループ。そして16分音符を5個づつグルーピングすれば4つのグループが出来ます。これもアクセントでグループの頭を強調してみます(次の譜例の1小節目)。これで4と5のポリリズムの完成です。割り切れるという事で、これもコスモ・ポリリズムと言っていいんでしょうか?
そして同じ様に4拍子と5拍子で譜面を分けると、次の譜例の2小節目になります。勿論1小節の長さは同じです。4拍子パートはずっと5連のパルスを基本として動いている事になります。
前の3と4の場合みたいに3連で動くのは不自然じゃなくてやりやすいんですけれど、その次の5連を基本にして動くのはやりづらいです。それで5連をやめて4連にしてみます(次の譜例の1小節目。勿論1小節の長さは同じです)。これは「やりづらい」からだけじゃなくて、4とか3とか2とか1とか普段よく使うものにした方が、効果的だからというのもあると思います。これで「コスモ・ポリリズム」じゃない、お互いの基本となる音符の長さが違う(縦の基本パルスが違う)ポリリズムになります。このズレが「訛り」になる訳ですね。
これを応用して実際に使えるフレーズを作る訳ですが、次の譜例の2小節目が「構造1」の基本構造です。お互い1小節目のパルス上で2小節目のフレーズが作られてますので、もともと微妙にズレてます。2小節目の下の4のパートの4分音符はピタリと合いますが、8分音符は微妙にズレて、これが「訛り」になる訳です。
こんな事が分かってなくても、この曲は充分スリリングで気持ち良く踊れます。ただ「ハノイ」の3と4よりはちょっとリズムが複雑なんですが、慣れるとハマりますね。グルーヴするポリリズム――素晴らしいですね!
愛車ズゼゾー(鶏でいうと老鶏……しつこすぎ・笑)が故障した日、九月二十五日はDCPRGのセカンド・フルアルバム"Structure et Force"(構造と力)を買いに行ってたのでした。実は発売当日に買う気ではなくて、そのうち手に入れようと気楽に構えてたんです。でも前日の 菊地成孔さんの日記――現在更新停止(2003-09-30)――を読んでると、フラゲした人達からの感想メールが届いてるとかで、その内容が以下の引用のような感じだそう。
帰宅すると、構造と力フラゲ組からいくつかメールが来ている。数通だが「前より興奮しない」とか「二回聴いたらもういいやと思った」とか「オーラが消えた」とか「大友にゲストでいから入っていた欲しかった」とか「5曲目がダサくてホント最低」とか書いてある。僕が新作を出したときの典型的反応だ。
→journal(二〇〇三年九月二十四日付け)より引用
これを見た瞬間にもうワクワクドキドキで楽しくなり、いてもたっても居られなくなって買いに走ったのでありました。
どう考えてもその辺のCDショップに置いてある訳もなく、間違いなくあるとしたらタワーレコードだろう――という事で、河原町OPAの九階にあるタワーレコードまで走ったのでした。いや、本当に走ったんですよ、ダッシュで。御池地下の駐車場に入れて、三十分以内で事を済まそうと思った訳です。それで一番近い大きめのCDショップであるJEUGIAへ行ってみたんですが、行くだけ無駄で一枚も置いてないのですな。やっぱりタワーレコードしかないと思って、人込みをかき分けかき分け走ったですよ。何車線か有る道路を、隙間があったら右へ左へ移動して走る”イラチ”な車がありますけど、まさにあの感じで、もう不幸を絵に描いた様な心の余裕の無さ。そういう事を感じながらOPAに到着してエレヴェーターで九階へ。
九階に付いて盗難防止ゲートをくぐると、すぐの棚にDCPRGの「構造と力」がぱっと見た感じ二十枚前後は山積みになってまして、横にはちゃんと今までのCDも一緒に置いてあります。おまけに菊地さんのチラシ(エッセイ集「スペインの宇宙食」とDCPRGのチラシ)も置いてあって、さらに店内にはDCPRGが鳴り響いてると言う、もう気絶しそうな状態でした。ゆっくりしてられないので、その中から無作為に一枚選んで、息を切らせてクラクラしながらレジにて購入。後は借り物競走で目的のモノを見つけた後みたいに、ひたすらゴールを目指して走りました。
最後にはゲームの様で楽しい気分に成りながら、人気もほとんどなく撤退する店舗も続出という噂の地下のショッピング・モールをくぐりぬけ(ここなんか、さながらマラソンでいう競技場に入って来て、残りトラック一周って感じ)、カードを機械に入れるとなんとギリギリ三十分以内。ツイてるなぁ――と我ながら関心して調子に乗って走ってると車が壊れたと、そういう事であります(笑)。
人生なんてまーるとバツのくーりかーえしー
と井上順さんが耳元で歌うようでありました。
午前中に郵便局まで速達(ドラマガのコンテスト)を出しに行って、その帰りにオータム・ジャンボ宝くじをバラで十枚買って帰りました。この前の「くじの日記念」(これもバラで十枚買った)のを換金して貰って、差額の一八〇〇円だけの出費でした。つまり一二〇〇円当たってたのですね――まぁ二〇〇〇円で買ったので、八〇〇円のマイナスなのですが……。くそう、ドラマガがダメでもこれが当たればドラム・セットを買うんだい! と、獲らぬタヌキのなんとやらなのでありました。
夜は久々にpazapの練習でした。金曜日、そして昨日とドラム・セットを叩いてて、しかも昨日は三時間近く叩いたので、今日の練習はやたら調子良かったです。今日録音したら良かったと思う程です。やっぱりちゃんとドラム・セットで練習しないといけないなぁ――とつくづく思い知りましたとさ。ただ体中が痛くて痛くて……情けなかぁ(笑)。
そして、昼間にはカフカの「火夫」を読んでたんですけど、ドイツから船でアメリカへ渡ったカールという主人公が、偶然知り合った火夫(機関士)と共に入った事務室で、アメリカ上院議員のヤーコプという叔父に出合うのです。訳者が叔父と書いてあるので、最近この漢字の使い分けを知って得意顔のおめでたいヤツとしましては、という事はこの叔父は、主人公カールの父母の弟なんだな――なんて鼻の穴をおっぴろげながら読んでました(笑)。
でも、しばらくして大どんでん返し。
叔父のヤーコプは母のお兄さんなんです。
あらら。これはどういう事? ひょっとして「叔父」「叔母」というのは、上下関係を気にせずに単純にひとまとめにして書く時の慣例になってるとか? それとも訳者さんのミス? どっちにしても、ニホンゴムズカシイネ……。
ちなみに「アメリカ」という長篇小説(別の訳者さん)を見てみると、ちゃんと「伯父」となっておりました。「火夫」という短篇小説は、この「アメリカ」の第一章の部分が独立したものの様です。
そうそう、カフカの短篇といえば「父のきがかり」という作品に、「オドラデク」というよく分からない生き物が出てきます。こういう謎のものってのは楽しいですね。自分の想像の中で遊べるのでいいです。でも実際にそれを見てみたいとは思いませんが(勿論カフカもなにかを謎の生命体に例えて書いているとは思うのですが)、そういう感覚は、宇宙をあれこれ想像してみる楽しさとよく似てると思ってしまいます。実際に火星に住むっていうバカバカしさは、「オドラデク」を実際に映画で具体化するようなものではないでしょうか?
そして謎のものといえば「くらむぼん」もそうで、これは宮沢賢治の「やまなし」という作品のなかに登場します。pazapの「くらむぼん」という曲もそこからとったものですし、 クラムボンというバンドもそうなのでしょうね。時々「クラムボン MP3」とかで検索に来る人がいますが、ガッカリなのでしょうね(笑)。このクラムボンというバンドを知る前から、「くらむぼん」っていう曲は出来てたので、ボクとかがクラムボンのファンだからこんな曲名にしたのではないですが、何年か前にFM802でクラムボンの曲がヘヴィー・ローテーションされてた頃はよくCDを聴いてました。そして今は"id"というアルバムを図書館で借りて来て聴いてます。
そうそう、その内に「オドラデク」という曲か、オドラデクが登場する曲が出来る可能性はかなり高いと思われます。これも一種の具体化だと言われたら返す言葉もないのですが……(笑)。
二日ぶりに愛車「ズゼゾー」(金魚で言うと老金魚。もう百六十五歳の)が帰って来ました。癒し系整備士T君のご好意で修理代は無料だったので、なんか申し訳ない気分です。ありがとうです!
さて、今日は三時間の個人練習をとって、必死にドラムの録音をしました。
ドラ・マガのドラムコンテスト用のなんですが、実は昨日もある場所で録音させてもらったのですが、全然練習してなくてボロボロで使い物にならない感じでしたのです。一応曲を聴きながら、頭の中でイメージトレーニングたけはしていったのですが、実際にドラムで叩いてないので体が動くはずがなかったのです。あたりまえの話ですが。そんな音源を送る訳にもいかず、今日は再チャレンジしたのでした。
持ち込んだのはスネアとツインペダル。シンバル類は、ハイハットとライドだけでした。あとはスタジオ常設のもの。レコーダーはアカイのDPS12という単体ハードディスク・レコーダー。マイクはスタジオに常設のSM-58を三本で、バスドラとオーバーヘッドにLとRの二本で、それをアカイに直接つなぎました。ヘッドフォン・アンプ経由でヘッドフォンでモニターしながら録音しました。
流石にいきなり録音しても良いものが録れる訳もないので、一時間くらい練習をしてからにしたんですけれど、結局最後までちゃんと叩けませんでした(涙)。課題曲が歌ものなので、基本的に歌の邪魔をする事もできず、かといってドラムのコンテストですから、何か主張はしないといけないので難しいのですよね。考えた挙げ句、やっぱり普段から「ポリリズム、ポリリズム」って言ってるので、そういう事もやらないといけないなぁと思って、ちょこちょこ5連なんかを使ってみたりしました。それから、わざとタブーをやぶってみようと思って、3連ものなのにあえてイーヴンで叩いた部分も作ってみました。
結局5テイクくらい録音した内の最後のテイクを採用する事にしておしまい。録り終わってみての感想は、失敗作(笑)。まったくグルーヴしてないので、もう審査に値しないでしょうねぇ。折角だからオリンピック精神で参加してみる事にします。さっき封筒にCDを入れて、明日の朝は郵便局から速達で出して完了。実は九月三十日、当日消印有効だと思ってたんですが、「必着」だっていうのを昨日知って、慌てて今日完成させたっていうのが本当の所です。締め切りが有るとフルパワーでがんばるんですが、間に合っても結局は中途半端なものなら意味ないですね(苦笑)。おまけに応募用紙の「自己PR」なんて最悪な文章で(いつもの事ですが)、どうしようのなくブルーになっております。ははは。
そうそう、結果はもう見えてるので、いちいち落選報告はしませんです。念のため。落選報告といえば、明日の京響のコンサートは「落選」だったようで観に行けません。くそう。あと結果待ちは、太陽の塔の内部公開が当たるかどうか。これは是非入ってみたいのですが、新聞とかで紹介されてしまったので、競争率はぐんと上がっただろうなぁ。期待しないで待つとしますか。
結局昨日入院した我が愛車「ズゼゾー」(猫で言うと老猫。もう八十八歳くらい。まだまだ成長中)は、連絡が有って明日には帰ってくる模様です。
結局はヒューズが切れていたようで(ボクが見落としてたヒューズがあったようです・涙)、そのヒューズがキャブを制御するソレノイド・ヴァルヴとも関係があった事から、エンジンの調子も悪くなってたらしいです。でもヒューズを交換したら良いだけでもなくて、根本的な原因はエアコンのコンプレッサーのクラッチらしいのです。やっぱり。
それで、二つの選択肢を与えられました。一つはエアコンのコンプレッサー交換。これはリンク品(新品ではなくて、オーバーホールしたもの)に交換するにしても五万円コース。エアコンも効く様になります。二つ目はヒューズ交換のみ。症状的にはエアコンをオンにして十五分後くらいにヒューズが切れるのだそうです。だからこれを選択するとエアコンは十五分しか効かない(つまりヒューズが切れる)。もしヒューズが切れたとしても、交換すれば十五分はエアコンが効くそうです(笑)。
これからの季節を考えると、あの車に五万円使うより(涙)、来年の夏までこのまま乗って、次の車を買う時の軍資金にした方が良いというアドヴァイスも納得する所だったので、そうする事にしました。ちょっと悲しいけれど、最後の五分間までもうちょっと大事に乗ってあげよう。
「娘に語る祖国『満州駅伝』――従軍慰安婦編」(つかこうへい/光文社/ISBN4-334-05239-8)を読了。高校の授業中には、どれだけつか作品を読んだでしょうねぇ(もちろん、こっそりと・笑)。かなり影響を受けてます。前作は大分前に買って読んだんですけど、続編が出てたんですね。一見(一読?)どこからどこまでが実話で、どこが創作なのか分からないという構成は、「腹黒日記」を思い起こす様でつか流ですね。結局この作品で展開されるストーリーの、何が実話だとか、何が創作だとか、そういう事はどうでもいい事です。
ストーリーは、終戦直前の満州で、兵隊と慰安婦が駅伝大会で競い合うというものです。その駅伝の途中で、恋いに落ちた二人が脱走をするものの……、という悲しくも美しいお話。そういうフィクションだかなんだか、そんなものは関係ないストーリーの中に、祖国に対する思いや、戦争、そして慰安婦問題、更に現代日本の姿までもを盛り込んだ、時代と正面から戦った、まっとうな大人の童話の様に思いました。面白かった。
どんな悲惨なこと、不幸なことを取り上げても、最後をハッピーエンドにする力のことを作家の才能というのです。
文中で語られるこういう言葉は、きっとつかさんの本音なのでしょう。「ハッピーエンドにする」という事も、陳腐なハッピーエンドとはまるで違った、もっと悲しくて苦しくて、そして温かいものです。本当に久しぶりに、つか作品の根底に流れるこの「温かさ」に包まれて、とても心地よい夜でした。
我が家の愛車(犬で言うと老犬。もう八十三歳くらい。別に犬でいう必要もないけれど)の名前は「ズゼゾー」といいます。この名前の由来は十数年前にさかのぼります。
当時ボクはギターを弾いていて、あるバンドを立ち上げる頃でした。"ZAZIE"というバンド。そこのうたうたいでもあったpazapのうたうたいが乗ってた自転車の名前が「ザジ(ZAZIE)」という名前でした。これは「地下鉄のザジ」っていう映画からとった名前だそうで、自転車や車に愛称を付ける習慣なんか無かったボクは面白がって真似して付けてみることにしました。で、あれこれ考えて「ズゼゾー」。あまりしっくりくる名前がなかったので、結局「ザジ」の続きの「ズゼゾー」にしたのでした。という事で、手数王ファンだったから「ゾウ」をつけたのではなくて(いや、ちょっとあったかも・笑)、「ザジズゼゾ」からとったという事なのです。
最近の雨続きのせいか、今日はこのズゼゾーに乗ると助手席の足下に池が出来てました。平べったい石を投げ込んで何段跳ねるか競争したい程の。しょうがないので雑巾で池の水を沼地くらいの湿地帯にして、どこから漏れてるのかを検証してみました。サクっとカーペットを剥がして色々と見てみると、どうやら雨が入ってるのは助手席側後ろの窓のゴムの隙間からの様子。サササっと調整して、大丈夫そうだったのでそのまま走ってたのですが、途中でエンジンの調子がおかしくなってきたのです。これはヤバイ! と思って、すかさず安全そうな路肩へ避難しました。
なんだろう? と思って見てみると、付けていたエアコンが入ってない様子。しかも水温計は中央を超えてかなり上昇中なのでありました。エンジンを切って調べてみると、どうやら電動ファン(コンデンサー・ファン)が回ってないっぽい。それで水温上昇か。なるほど。しかもエアコンが入らないのも関係ありそうな感じです。電動ファンが入る条件は二つです。水温が上昇した時かエアコンを付けている時で、エアコンがオンの時は水温に関係なくファンは回ります(これはどこのメーカーもそうなんでしょうかね? ひょっとしたらメーカーや車種によって違う場合があるのかも。少なくともホンダ車はそうだと思いますが)。だからこれらは関連性がありそうな部分なのですね。
お気まりのヒューズチェック、それからコンデンサー・ファンのセンサーをピンで直結にしてみてもダメ。強制的にファンを回してやったら走行は可能かと思ったんですが、結局強制的に回すエアコンのオンも効かないので、もっと違う所の問題で、しかも応急処置では無理っぽいみたいです。しょうがないので、いつもお世話になってるホンダ時代の仲間のT氏へヘルプの電話をしたのでした。見てくれるというので乗って行こうとしたらエンストの嵐。ありゃりゃ、ダメだぁ。で、再びヘルプの電話をして、取りに来てもらったのでした。そのまま入院という事なのですが、この分だとあと一年もつかなぁ? ちょうど車検まであと一年くらいで、それまでは乗ろうと思っていたんですよね。去年十万キロを超えたので、タイミングベルトも交換したのになぁ。
でももし直ったとしても、街乗りはいいとしても、往復五〇〇キロで高速も使う実家への帰省はどうしたものか……。ちょっと悩みの種になりそうで、ヤーな感じでワクワクしてきました。
「話し言葉の日本語」(井上ひさし・平田オリザ:著/小学館/ISBN4-09-387366-6)と「竹田の子守唄 名曲に隠された真実」(藤田正:著/解放出版社/ISBN4-4592-0023-1)を読了。今年の始めに目標として「本を読む宣言」をした気がするのですが、まぁまぁ読めてる方かも知れません。当然、当社比ですけど(笑)。
今読んでるのは「大野晋の日本語相談」(大野晋:著/朝日新聞社/ISBN4-02-257780-0)と、対談ものが好きなので「生命との対話 キリスト教・祈りのかたち 三浦綾子vs.ひろさちや対談集」(主婦の友社/ISBN4-07-939415-2)。大野さんのはQ&Aになってるので、好きな所から読めていいです。掛け持ちで読む時にはこういう本は最適です。
最近、日本語についての本をよく読みますが、これは日本語を使ってるにもかかわらず、テキトーに騙し騙し使ってるっていうのに、そろそろ自分で許せなくなってきたという事です。勿論それだけでなくて、そういう本が面白いから読んでるという、そういう単純な事なんですけど。それから、そういう本を読み出しても、この日誌の文章がまともになるという事が期待できるとは思いませんのですが(笑)。
話は変わりますが、昨日の昼間にNHKの人がうちに来たんです。NHKは好きでよく見るので、ちゃんと受信料も払ってるのに何かな? と思ったんですが(いや、好きだから受信料払うとか、本来そういうモノではない・笑)、何とBSの料金徴収の人のようでした。
そういう人に来られても、うちはBSなんて見てないのでビックリしたんです。いや、それよりも、BSを見たくてもうちにはBSを見る事が出来る環境自体がないんですけど。「?」が一杯頭の上に出てる様な、しかも寝ぼけてるボクをみて、そのNHKの人は、「この建物(集合住宅)には上にBSのアンテナ付いてるので、BSチューナー内蔵のテレビとかがあったら、BS放送を見る事が出来るんです」ってな事を言うのですね。
そういうのを聞いても、ボクの頭の上の「?」は更に二十個くらい増えるばかり。だって、今のとこには六年くらい住んでますが、そんな話聞いた事も無いし、そういう集金の人も今まで来た事がないんですよ。だいたい、うちの一九八六年製造のオンボロテレビのどこにBSチューナーがついてるのか、その人に見せてやりたいくらいでしたが(苦笑)。
結局その人はBSの案内のチラシをくれて、「ご検討ください」って帰って行きました。でも本当にここでBSが見られるんだろうか? 本当だったら、この前にヴィデオデッキがぶっ壊れて新しいのを買った時に、BSチューナー内蔵のにしとけば良かったなぁ。今更ヴィデオでもないだろうとか思って安いデッキを買ったんだけど、失敗だったかなぁ……などと一瞬思ったものの、やっぱり本当にBSが受信できるのか信じられないんですよね。
そういう事で、昨日出かけた時に外からアンテナを観察してみたんですが、どこにもパラボラ・アンテナらしきものが見つからないんですよねぇ。ひょっとしてボクが見てる間はアンテナがどこかに隠れるなんて事はないですよね。松本零士さんの漫画「大純情くん」のアパートじゃないんだから。
それにしてもNHKの人は大変ですよね。普通の受信料を請求するのはまだマシでしょうが(それでも大変そう)、集合住宅でBSアンテナが付いてて、その中で誰が見てるか見てないかなんて判断できませんよね。善意の自己申告に頼らざるを得ないなんて、NHKの集金してる人にはいつも同情してしまいます。
それよりもココ。本当にBS見られるのかなぁ……(しつこい!)。
昨日の日誌に書いたPhonoliteのアルバム"while I'm sleeping"。つい「このアルバムは普通に流通してるのかちょっと分かりませんが」なんて失礼な事を書いてしまいましたです。失礼しました。今日、三条のJEUGIA本店のジャズ・コーナーに言ってみると、面だし三列で十枚弱は置いてありましたです。凄い! でも、ボーナスCDは添付されてないと思われますし、通販の方がお得なのには変わりませんね。
そうそう、JEUGIAの六階のイヴェント・スペースは「大中古市&楽器処分市」っていうのの最終日らしく、ちょっと寄ってみました。ボク的には欲しいモノは何もなかったんですが、ギブソンのフライング・ヴイが二万円ちょいで売ってたので、思わず生野さんに電話しようかと思いました(笑)。結構カッコよかったですよ(笑)。
ということで、今日は四条界隈へ出かけた訳ですが、ひとつの目的は九月二十三日に行くとこにしている(と言っても、毎年は行けてないのですが)六角堂へ行く事でした。
六角堂は正式には
でもボクの目的は親鸞堂なので、そこへお参りしてから中古CD屋さんめぐりへ。でも結局なにも買いませんでしたけど。ビーバー・レコードの隣に「セカンドハンズ」(? 確かこんな名前だったと思いますが)っていう面白い店があって、久しぶりに寄ってみたら店内にフランク・ザッパ御大が鳴り響いてて嬉しかったですねぇ。「ディスコ・ボーイ」とか。この店ではヒカシューとか、欲しいCDが有ったのですが、ちょいと高かったので断念。CD以外にも色々なもの(例えば万博グッズとか)が有って楽しい店でした。
夕方、やたらとお腹が空いて来たのでカフェ・アンデパンダンへ行ってみたら、ライヴが有るようでリハ中だったので入れず。そのまま近くのシェイキーズでバイキングにしました。もうここぞとばかりに食べまくり、お腹パンパンで水芸が出来そうなくらいになったので、最初に書いたJEUGIA経由で歩いてネガポジまで行きました。
今日のもうひとつの予定は荘園さんのライヴ@ネガポジでした。ちょっとまだ時間もあったので、前の公園で口琴をビョンビョンして時間を潰してから店内へ。
今日の出場バンドは3バンドで、荘園さんはトリ。荘園さんはもうある意味、色んな意味で完成されたバンドだと思うので、聴く方からしたら感想もなにも必要ないですね。ウィルキンソンを飲みながら、まったりとライヴ観戦でした。各バンドの皆様、お疲れさまでしたー。
うちもそろそろ、ライヴやりたいですねぇ。おっと、その前に目前に迫った「ドラマガ誌上ドラム・コンテスト」の締め切りがぁ……。
インターネット経由の通信販売でCDを購入する時は、代引き以外なら普通郵便で届く事が多いです。でも最近はクロネコメール便で届く事も多くなってきました。
これはあれでしたっけ? 郵政事業の規制緩和で出て来たサービスでしたっけ? A4の書類や雑誌などを折る事なく送る事が出来て、しかも安いんですね。郵便受けへ入れて行くだけで、ハンコとかは必要ないんで留守でも大丈夫なんですね。それから郵便局のと違うのは、日曜日にも配達があるという所ですか。これは嬉しいですね。
ボクもちょくちょくCDとかを送る事があるので、今度からはこっちにしてみようかなと調べてみたのですが、なんかこのメール便を使うのには契約が必要なのだとか。個人向けのサーヴィスでは無いっていう感じですね。まぁしょうがないか。個人向けだと割に合わないのかも知れません。
そういう訳で、日曜日の昨日にこのクロネコメール便が届いてました。ベーシスト 水谷浩章さんのリーダー・ユニットである"Phonolite"の"while I'm sleeping"というアルバムを注文してたのでした。
ドラム・マガジン(二〇〇三年一〇月号)の外山明さんの記事中に紹介してあって興味をもって検索してみたのですが、 スタジオ ウィーさんの phonoliteのページで試聴が出来て、気に入ったので即購入してみました。条件反射のようでした(笑)。ちょっと後で冷静になって後悔しましたけど(金欠なのよねぇ・笑)、実際に聴いてみると後悔なんてぶっ飛びましたけど。買っておいて良かった。
このアルバムは普通に流通してるのかちょっと分かりませんが、購入するなら先のサイトから購入するのがベストですね。何故なら、支払いは後払いで郵便振り替えのみなのですが、送料も振り込み手数料も無料なのです(郵便局へ行くのが邪魔臭いって人も居るのでしょうが……)。いや、それよりなにより、サイトから注文すると(ひょっとして数量限定かも知れませんが)、本編とは別に、水谷浩章さんのベース一人多重録音のボーナスCD-Rがついてくるんです! これはなによりお得でレア物ですよね。
このCDを開けてみて面白いなぁと思ったのは、お決まりのプラスティック・ケースに入ってないんですね。紙のみです。でもそれが「おにぎり方式」なのです! なんじゃそら? って感じなんですけど。「おにぎり方式」ってのはボクが勝手に命名しました。悪しからず(笑)。あの竹の皮におにぎりを包むようにCDが入ってるんですね。こういうの見たの初めてなんですが、面白いですね。
内容はといいますと、大人なしっとりとしたジャズがメインという感じですかね? かといってコテコテの、悪い意味で眠くなるジャズっていう感じでもないです。フルートとかクラリネットとかチェロとかが入ってたりするから、ジャズ室内楽って感じでしょうか。心地よくて何度聴いても飽きない感じで、ついリピートしてしまいます。
ちなみにボクが一番気に入ったのは、一曲目の"call from valley water"という曲です。ドラムの外山さんがバラフォンを演奏してて、曲の間中「5」のフレーズが続くポリリズムの曲です。ドラム・マガジンでの外山さんのコメントによると「5と4と3が同時にある、3Dのような立体的なリズム」なのだそうです。こういう曲でも攻撃的なリズムじゃなくて、気持ちいいポリリズムなのが興味深かったです。それでいて刺激的で、心地よくグルーブしたポリリズムという感じです。いやぁ、色々と勉強になるアルバムですねこれは(念のために書いておきますが、ポリリズム好きだけが気持ち良くなるアルバムでは勿論ないですので・笑)。
水谷さんは、このアルバムでは基本的にアコースティック・ベース(ベースの呼び方って色々あってどれを使っていいのか分からないですね。ウッド・ベースとかコントラバスとか、ダブル・ベースとかアップライト・ベースとか……。多分好みで使えばいいんでしょうけど)です(一曲だけエレキも弾いてます)。
そして、ボーナスCD-Rでは水谷さんのベースによる多重録音の曲"five phonons"を聴く事ができます。6/8拍子の曲なんですが、途中にポリリズムも顔を覗かせますね。パーカッション的な音も入ってますが、多分これはアコースティック・ベースのボディを叩いてたりするんでしょうねぇ。
そういえば 「カフェおじさん」もまだ購入してないので、そのうち購入しなければ、と思いました。
もの凄く恥ずかしながら白状しますと、最近まで「オジ・オバ」という漢字の「伯」と「叔」というのは、どっちを使ってもいいものだと思ってました。
でも、実は使い分けないといけないのですね。そんな事、学校では習わなかったぞ! って過去の国語の先生をまとめて非難したい気分になりました。まぁ、そんな事をしても「お前が授業をちゃんと聞いてなかったからだろ?」とかって言われるのは目に見えてますが(苦笑)。
だから改めてこんな事を書くのも何なんですが、備忘録がわりに書いておきます。
日本語では呼ぶ時は「オジ・オバ」などと区別ありません。でも書く時は「伯父・伯母」、あるいは「叔父・叔母」と区別して書きます。この差は、自分の両親と、その兄弟関係などによって変わるんですね。自分の両親より年上には「伯」の字を、年下には「叔」の字を書きます。例えば、父の兄なら「伯父」、妹なら「叔母」ですね。同じ様に母の姉なら「伯母」で、弟ならば「叔父」とか。
そういう基本的なんだろうなぁ……っていうのを、三十年以上生きて来てやっと知って、「知る喜び」なんてのを噛み締めている今日この頃なのです(大袈裟)。
Macの標準のIMの「ことえり」は、最近のヴァージョンは意味とかも出るんですね。試しに変換してみたら、ちゃんとこの「オジ・オバ」も意味が出てました。
ただ(実はここが本当に書きたかった事なんですが)、この「ことえり」の表示はおかしいですね。
例えば「伯父」の場合。「父母の兄にあたるひと」「伯父が祖父の会社を継いだ」と並べて書いてあるんです。でもこれは、前者が意味で、後者は使用例ですよね。それを区別なく並べたら、どれが意味でどれが使用例なのかよく分からないではないですか? そもそも、これ全部を意味だと勘違いしかねないですね。「そうか、伯父っていうのは祖父の会社を継ぐ人の事か…」とか(そんなヤツはいないか・笑)。表示がシンプルなのはいいのですが、せめて字の色を変えたりとかして欲しいところですね。次のヴァージョンではどうなのでしょうかね。