パザ日誌

コラムというほど大袈裟でなく、日記というほど更新もできない。
ただ、pazapのメンバーが思ったことを書き綴るページです。


2003年05月10日(土曜日)----すぎもと

醍醐中央図書館の品揃え

今日、朝玄関先で新聞受けに毎日新聞が入っていたのです。毎日新聞なんてとってないのになぁ……って思って見てみると、「サービスです」って書いてある紙と「一週間無料購読券」が付いていたのでした。まぁそういうことならと読んでみると、途中に毎日新聞記者のヨルダン・アンマン国際空港での爆発事件についての特別記事が二ページ掲載されてました。この記事を見て「成る程、そういう事か」と。きっとこの記事を読んで欲しいのと、「毎日新聞」の評判を回復するために購読者以外にも「サービス」として配ってるんでしょうね。いや、これは個人的な想像で、なんの根拠もないのですが。これが本当だとしたら、地域販売所の独自のサービスの訳が無いと思うので、毎日新聞本社の方針で全国的に行っているのでしょうか? それとも地域的にやってるのでしょうかね? 考え過ぎという気もしますが。


で、今日は醍醐中央図書館へCDと本を借りに。京都市中央図書館で借りた本も、ついでに返してラクラクでした。ボクは三つの 京都市図書館 (京都市中央、伏見中央、醍醐中央)に渡って借りる事が多いので、どこでも返せたらとても助かります。でも醍醐中央図書館だけはCDが借りられるのでいいのです。しかもボクからしたら、そこらへんのレンタル屋の品揃えの二十倍くらい欲しいのがある感じ。つまりモー娘。とか平井堅なんていうのは無くても全然困らないのですが、ジャズとかクラシックが山の様にあって、しかも現代ものが多い。こういう所って「クラシック全集」みたいな、「ポピュラー所を一通りそろえました」っていう百科事典的なのが多いのですが(確かうちの故郷の図書館はそうだった)、ここは違うのです。なんせ「エドガー・ヴァレーズ全集」とか、伊福部昭のシリーズとかまであるのですな。ザッパも一枚だけあるし、Tipographicaは二枚もありますのじゃ。

で、今日借りたのは

で、ここの図書館は民族音楽コーナーもかなりの量のCDがあります。この辺もポイントが高いんですよね。営利目的のレンタル屋とは正確が違うのですから、こうでなくっちゃって感じです。で、流行りものは一〇〇円くらいで好きな曲一曲単位でネットで買える、そういう時代になったらいいんですよ。流行りものの音楽にはそういうのが向いてますし、環境にも良いという事で。もちろんその「アーティスト」が好きなら、アルバムを買えば良いのですし。

話しがそれましたが、こういう図書館でクラシックがこれだけ充実してるのは、本当にありがたいです。クラシックの性質上、同じ曲を違うオーケストラや指揮者や、そしてソリストとかで聴きたいのですね。で、好きな曲があって、そのCDは持ってるけれど、他のオーケストラでも聴きたい時があります。そういう時に図書館はピッタリなのです。それに初めて聴く現代曲とかを「試聴」するにも最適ですしね。京都市に住んでるか、京都市に通勤、通学してる方は是非利用して欲しい図書館です。

ちなみに車で行くには、パセオダイゴローの東館の駐車場に入れるとお得です。駐車場が無料ですし、二階から外環をまたぐ渡り廊下を通って西館へ行けます。図書館がある方の「西館」は市営駐車場なので有料(ただしレシート一〇〇〇円分で二時間無料だったような)になります。買い物がてらにちょうどいい。電車では地下鉄東西線「醍醐」駅のすぐ上です。


2003年05月09日(金曜日)----すぎもと

原爆のターゲットだった京都市

最近こういうパターンばかりなのですが、気が付いたら図書館で借りた本の返却日が昨日だったとか。で、読みかけの本「京都に原爆を投下せよ」を速攻で読んで返却をしに行ったのでした。

しかも他に借りてた本は、実は自分で買って持ってたなんていう間抜けな事もしてるのを発見。さらに、この前に中古で一〇〇円だったから喜んで買った本も、実は家に帰って見てみるとあったりと。はははは。ボケてます。こういう場合、新品で買った事を悔やんだら良いのか、一〇〇円で買った事を悔やんだら良いのか、悩んでしまいますね。

で、昨日も書いた「京都に原爆を投下せよ」ですが、この本はかなり面白いです。ボクが「実は京都は原爆を落とすターゲットになっていた」という事を知ったのは、何年か前に見たテレビの特番でした。その特番自体がこの「京都に原爆を投下せよ」を下地にしてるような感じに思ったのですが、その特番を見るまでは、ボクも例に漏れずに「京都は文化財が一杯あるので攻撃を免れた。」とずっと思っていたのでした。それは多分学校の先生にそういう話しを聞いたりしたんじゃないかと思いますが、そういうのを聞いて「アメリカっていう国は懐の広いくになんだなぁ」と、これこそ洗脳教育という感じの思いをずっと持っていた訳なのです。

でも実際はまったくの嘘。京都は原爆を落とす為に攻撃を止められていて、一時原爆投下の対象から外れた時には「京都大空襲」の危機もあったらしいのですが、それもアメリカ軍が沖縄戦を始めるタイミングと合った為に保留となったとの事。最終的には「戦後日本が反アメリカになって、ソ連に付くのを危惧したという政策上の理由」から、京都は原爆投下を免れたという事なんですね。「文化財の保護のため」なんていうのはまったく考えられてなかったのです。この本はその辺りの事をアメリカの公式の資料から明らかにしていて、ウォーナー氏本人も否定していたにも関わらず「ウォーナー伝説」と呼ばれる伝説が広がった事に関しても詳しく書かれています。結局ウォーナー氏の作成したリストは文化財保護の為に作成されたリストではなくて、戦時中に略奪された時の回復の為に作成されたとの事。そして日本とは逆に中国ではウォーナー氏は、壁画を持ち出した「悪者」になってるようです。

今回のイラクの時の日本の対応にしてもそうですが、国益や政策の為には人道的な事も後回しや「見て見ぬ振り」をされるという、典型的なパターンなのでしょう。この本はとても読み易いので、いまだに「ウォーナー伝説」を信じている人たちには、是非読んで欲しい本です。

関連サイト

2003年05月08日(木曜日)----すぎもと

弱肉強食というナンセンス

在米のジャーナリスト堀田佳男さんのサイト 急がばワシントンを読んでいるとスタバの話しが載っていて、興味深く読ませていただきました。絶好調の企業が店舗をやたら増やし過ぎるのを見たり聞いたりすると、「足るを知れ!」っていつも思ってしまいます。ある程度の競争原理がないとダメだというのは理解出来ますが、それにしても限界はあるやろ? という思いはあります。例えば昨日のやしきたかじんさんの番組でたかじんさんが言ってた事。昔はレギュラー番組が七本あったっていう話しで、「あの頃はギャラが安かった。今は月に四日だけやけどギャラが上がったからそれでええねん」みたいな事を言ってて、ギャラが高いにもかかわらず毎日毎日テレビに出てる某タレントの事について批判してましたけど、まったく同感でした。そういう話しを聞いて今日、先の記事を読んで、あぁスタバもその某タレントの様なもんなんやなぁ、なんて思ってしまったのでした。

こういう話しでよく言われるのは、「世の中、弱肉強食。食うか食われるかや」なんていう言葉。世の中が弱肉強食なんていうのが常識なんて、誰が決めたのか分かりませんが、そんなのはボクは信じません。専門家の間では「進化論」という考え方も古い、なんていう話しを聞いた事がありますが(ボクは専門でないので詳しくは分かりませんが)、そういうのは「弱肉強食」とみたらそうも見えるし、「共生してる」とみたらそうも見えるというような、見方の問題の部分がありますよね。それをいかにも「弱肉強食が真実」みたいに思わされている部分があって、それがどうも納得がいかない。今読んでる「京都に原爆を投下せよ」にも出てくる「ウォーナー伝説」みたいなもんです。実は京都は原爆投下のナンバー1候補地だったから攻撃を免れたのに(原爆以外の被害があると、どこまでが原爆の被害かが分からなくなるから他の攻撃は禁止されてた。つまり実験台?)、ウォーナー氏が文化財保護の為に守ってくれたなんていう伝説があって、今でもそう思ってる人がいるという話しです。というか、思わされているのですね。

でも結局、ピラミッドのてっぺんに居るかの様な気分でいる人間も、目にも見えないウィルスにやっつけられてる訳なのに。じゃあ、弱肉強食の「強いもの」っていうのは何なんでしょ? 結局のところ「強い」も「弱い」もないんじゃないでしょうか? 「弱肉強食」なんて、まったくナンセンスで、そんな世界なんて全然つまらないです。人間は「脱弱肉強食」だからこそ人間的なんじゃないの? あ、やっぱりヤツらはアニマルなのか。


2003年05月07日(水曜日)----すぎもと

ナイトメア・ビフォア・クリスマス・コレクターズ・エディション

iWeekのFlashステージで楽しませて頂いた、 まつむらまきおさんのサイトを久しぶりに見せてもらったら、なんと日記を発見。嬉しくて全部読んでいってると、去年の十二月の日記で「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」の「コレクターズ・エディション」なるものの存在を初めて知りました(笑)。はははははははははははははははははははは! 笑い事でわありませぬ。「ナイトメア」の大ファンとしてはこれは外せないのであります。いや、大ファンなら発売して半年も経過してから気付くなんて事がある筈ないのですが……。トホホ。なんせ特典が「メイキング」と「ヴィンセント」っていうのはもう、考えただけでよだれものですし、絶対に手に入れなければ! ということでAmazonを初め、色々と調べてみましたがほとんど全滅。ヤフーオークションにはありましたが、そんな所は絶対に使いません。某BBSの情報ならば、最近でも地方のお店とかで見つけたラッキーな人も居るとか。あとはそういう「デッド・ストック化」したようなのを発見するか、中古で流れてるのを運良く見つけるかしか方法はないみたいです。くそう、もっと早く気付いていたら!! という事で、悔やんでも悔やみきれない今日この頃。近所のDVDが置いてありそうな所は何軒かあたってみましたが、やっぱり無いですねぇ。誰か見つけたら教えてくださいませ!!!!!

続きます!

2003年05月06日(火曜日)----すぎもと

Group 87 MEMO

「Group 87」というバンドについて尋ねられたのですが、ボクも全然知らなかったので検索とかで調べてみたりしました。あるサイトによると「Terry BozzioやPatrick O'hearn」が参加する「プログレ・バンド」という事が分かりました。そういえば、ザッパについて調べてたら出て来たバンドだという事だったのでした。ボクはザッパ好きだって言いまくってたりしますが、ザッパ暦はドラム暦と同じ十年位ですし、プログレをほとんど知らないので、こういうバンドは全然知りませんでしたのです。

でも日本語のサイトには情報が多くないですねぇ。で、「プログレ」で「テリーボジオ」ときいてふとあるものを思い出しました。それはU.Kのライヴあるばむ「Night After Night」についてた「MADE IN THE UK」っていうバンド相関図みたいなヤツ(笑)。一応持っているだけでほとんど聴かない、冒頭の「U.Kコール」を公演前にみんなで練習したというこのアルバムも役に立つものですね(笑)。たしかにのっておりました。以下メンバーなどをメモ。

GROUP 87#1(Spring 1980-Autumn 1980)
  • Peter Maunu(gtr/keyds/violin)
  • Patrick O'Hearn(bass)
  • Terry Bozzio(drums)
  • Peter Wolf(keyboards)
  • Mark Isham(keyboards/trumpet)

一九八〇年の春から秋って期間が短すぎますよね。「#1」というのは「第一期」という事なのでしょうか? 他のバンドとかと比べてみると、Terry BozzioはU.Kと掛け持ちの様で、このバンドを抜けてMissing Personsへとなだれ込む訳ですね。Missing Personsもいいですよね。ボクは「U.S Drug」という曲が大好きです。

そして、Group 87のCDは Amazonで見てみると輸入版ですが手に入りそうなので買ってみようかなぁ。安いですし。


2003年05月05日(月曜日)----すぎもと

iWeek2003に行ってきました!

京阪電車で京橋へ。本を読んでたらあっという間でした。
iWeek2003 ツイン21会場
で、見たものは

「ルパン三世」の作者でご存じのモンキー・パンチさんのステージは、慣れない道具を使って描くとどうなるかという実験と(謎)、「ルパン」のキャラクターに関する秘密話とか、その他とても書けない様な危ない内容(笑)。とても面白くてお得なお話しでした。そうか、そうなのか……。モンキーさんの仕事場はアシスタントが居ないのだとかいう話しは興味深かったです。アシスタントは全国に居て、在宅でネットを通じてやりとりをしてるそうです。でもプロの人でもPhotoShopとかでツールを選ぶ時にショートカットを使わないの? とかちょっと思ってしまいましたが。

そして実は音楽ものよりこっちが本命という「マツカサライブ」。「 デジクリ」というメールマガジンでは水曜日に「MKチャット対談」というチャットでの爆笑対談を連載されてる、Flashの第一人者のおふたり笠居トシヒロさんとまつむらまきおさん。流石にステージも面白かったです。

いつもながらにまつむらさんは辛口トーク。Flashサイトについての批判はとっても「ごもっとも」で「よっ! そのとおり!!」でした。例えばマウスオーバーしないとメニューが見えないような作りのサイトとか、そういう利用者の事を考えてない「作り手のエゴ」を押し付ける、しかも「プロの作品」とか。トップページで「日本語」を選ばせといて「日本語サイト」へ誘導してるのに、メニューは全て英語とか。「馬鹿にしてんのか!」って本気で怒ってましたね。確かに、まったくごもっともな話しです。しかもそういうサイトが一期一会な商売をしているホテルのサイトだったりするのが、さらに怒りを増殖しているというのは、まったくその通りだと思いました。

「オシャレ」かなんかで使いにくくて重いFlashサイトがFlashの評判を下げてる、という話しは同じFlash制作者として我慢ならないのでしょうね。これは「タバコを吸うひと」にも共通する話しですよね。いや、怒ってばかりのステージじゃなかったですよ、勿論。まさにこのお二人という感じの楽しいステージで、最後にはFlash MXが当たるじゃんけん大会がありました。で、早速惨敗(笑)。いいのさ。持ってるから(と、ちょっとひがむ)。

Adobeのステージもちらっと見ましたが、音楽ものも2つばかし見学。デジパフォのステージは実際にレコーディングからのデモ。もちろんMac OSX対応のデジパフォでした。最後の「プロの音楽制作現場におけるMacintosh」もOS X対応のProTools6(ProTools HD)のデモでした。こちらはレコーディングからのデモではなかったですが、実際に今進行中のレコーディングを例にとったProToolsのデモでした。はじめてちゃんとOS X版のProToolsを見ましたが、やっぱり日本語メニューはいいですね。初めは見た目に違和感がありますが、絶対便利だろうなぁと思いました。うちのProTools(LEだけど)がOS X版になるのはまだ先ですな。なんせマシンから買い替えなくっちゃ無理ですから、いつの事になるのやら。

iWeekは最後まで居なけりゃソンソン。という事で本当の本命は実はこれだったりして……という、恒例のじゃんけん大会なのですが、今年の成果は!
アドビ イラストレーター・ノート

FileMakerマウスパッドはじゃんけん大会とは関係なく、会場内で配布していたものです。その他はじゃんけん大会で当たった、というより「残念賞」ってトコロ。それでも毎年何かは貰って帰れるという、大変お得なiWeekなのでした。


2003年05月04日(日曜日)----すぎもと

M.C王、今だ衰えず

Macユーザーとしましては、G.Wと言えばiWeek。東京が会場だとなかなか見に行けないのですが、iWeekの会場はずっと大阪。今年も見に行きたくてウズウズしてるのですが、どうも行くのは明日になりそうです。でも絶対に行くのだ! しかし、昨日は場所は違えど同じ道場生の(今でもでしょうか?)原田社長のバンドが、今年も前夜祭にライヴををしたみたいなのですが、 MACお宝鑑定団iWeek 2003 レポート によりますと、Macユーザーとしても有名で、電車が大好きな(笑)カシオペアのキードーディスト向谷実さんが特別ゲストだったみたいですね。しかもこのレポートにも

特に、向谷さんの毒舌とも言うべきトークは、会場で大爆笑となっていました。

ということで(笑)、相変わらずM.C王の実力は衰えずといった所でしょうか? かつてfragileとのM.C王座決定戦ツアーでは、M.Cの為にオーディオテクニカの「金」のマイクを持参されて、圧倒的な程のトークを炸裂していたのでした。しかしこの夜は何についてしゃべったのでしょうか? 向谷さん恐るべし。

と言う事で、今日は原田社長の基調講演(お土産付き)と大阪南港WTCに銀河鉄道999の施設がオープンしたためか、タケカワユキヒデさんがライヴをしたらしいのでした。あぁ、両方行きたかっあ!! でもWTCにはそのうちに行かねば!


2003年05月03日(土曜日)----すぎもと

海水浴

今日は急に暑くなったような感じの1日でしたです。といっても、もう五月。ボクが田舎に居た時はもう泳ぎに行き出す頃でした。実際に和歌山かどこかではもう海開きだというようなニュースも見ましたしね。和歌山とうちの田舎は紀伊水道を挟んで反対側。ボクの育った町の山に登ると、海の向こうに和歌山が見える所があって、友達とよく登って遊んだものでした。あれは本当に和歌山だったんだろうか? でもボクの町では徳島のローカルテレビ局である「 四国放送」とは別に「テレビ和歌山」が映ります。そういう町であります。

この前に聞いてたFMで キヨピー が「aikoは3回しか海水浴に言った事がない」なんていう話しをしてましたが、ボクの感覚ならそれは、夏休みが始まって三日目にもう達成してしまう事です。なんせチャリンコに乗って海水浴なんていう感覚の所で、勿論家から海パンをはいたままで、チャリンコに乗って泳ぎに行きます。夏休みなんかはだいたい、午前中に海に行って泳いで、昼になれば海パンにTシャツだけ着て昼飯を食いに帰って、飯を食ったらそのまままた海へ。そして夕方近くになると、またそのまま川へ泳ぎに移動。そうして体に付いた塩を流すのも兼ねてひと泳ぎして帰ると、そういう毎日を送ってましたのですよ。当時はよくオジさん達の子供の頃の話しとかを聞いて、ボク達は甘いなぁなんて思っていましたが、今の「街の子」を見ていると、ボクたちの子供の頃も一応自然児だったのかも知れません。今はどうなのかなぁ。

今日の気温が何度かったか知りませんが、明日の京都の最高気温の予想は「二十七度」だって。軽く夏日を超してるやん。もうコタツは要らないかなぁ?


2003年05月02日(金曜日)----すぎもと

人類の口の永遠の友

スーパーで特売してた「お茶漬けヌードル」なるものを衝動買いしてみたのです。「銀河鉄道999」の中で星野鉄郎曰く人類の口の永遠の友というラーメン。時々衝動的に食べたくなるものですが、それはホンマモンでもインスタントでも同じですな。がしかし、一つ忘れていたのです。ボクの中では(あくまでボクの好みの話しですが)日新のラーメンはスタンダードなもの以外は外れというジンクスがあったのです。という事で今回もそういう事になったという事です。まぁボクの中のラーメンの基準は「ご飯に合う」というポイントに異常にウェイトを置くので、全然アテにならないのですが。だから「お茶漬け」なんていう言葉から「あっさり」っていうイメージが沸かなかったボクの浅はかさですね。あっさり派の人には向いてるかもです。


さて今日は(今日も?)クラシックを聴きながら「銀河鉄道999」を読み直したりしておりましたです。今日聴いたのはメシアンの「トゥランガリラ交響曲」(シャルル・デュトア指揮NHK交響楽団のヴィデオ)に三木 稔さんの「序の曲」(カメラータ・トウキョウ15CM-223~4)。三木稔さんのCDは集めて聴いてみたいとずっと思ってるのですが、買ってないなぁと今日また気付いたりしてます。

しかし、クラシック少年だった中学生の頃には、寝る前までに枕元にラジカセを毎日置いて、ベートーヴェンの「第九」やら、ドヴォルザークの「新世界」やら、ブラームスの交響曲やらビゼーの「カルメン」やら、チャイコフスキーやらを毎日聴きながら眠ったもんですが、最近もやたらクラシックを聴くのにそういうのを聴きませんなぁ。たまに聴くととっても良いんですけどね。久しぶりにチャイコフスキーの「悲愴」でも聴いてみようかなぁ。でもCDもヴィデオも無いや(笑)。

「999」読んでて思ったのですが、松本零士作品を見ていると、どれも金持ちより貧乏人の方が幸せそうだなぁという事。「999」の中でも「大四畳半惑星」という星でおきまりの四畳半話しが出てきますが、不覚にも涙を流してしまった(苦笑)。聖書に出てくる「貧しい人たちは幸いである」なんていうのを思い出してしまいます。ちょっと松本零士ワールドに久しぶりにハマリそうです。と同時に松本零士ワールドはずっとボクの体の中に蓄積されてて、ボクの一部になってるんだなぁと実感したりしてます。


2003年05月01日(木曜日)----すぎもと

ワダチ

松本零士さんの「ワダチ」(ISBN4-09-192075-6)という漫画を読みました。

オリジナルは二巻あるようなのですが、今日読んだのは、文庫本サイズの小学館から一九九九年に出たもので1巻にまとまっています。お得意の四畳半シリーズで、しかもSFもの。ちょっとだけと思って読みはじめたら、最後まで止まらなくなりました。

この作品を読んでて思ったんですが、小学生の頃に松本零士作品を読んでてツボにはまるポイントと、今読んでてはまるポイントがまったく同じだと言う事。これは本質的に人間っていうものは変わらないというのか、それともボクが成長してないのか? ありゃ、またこのパターンだ(笑)。いや、ボクという存在が小学生の頃には、すでに完成していたという事かも。そういえばボクは確かに小学生の頃から小学生らしくない変な人間だったような。正月に「おとしだま」を貰うととても嬉しいんですが、多分誰にも言わなかったけど「おとしだま」っていう制度にずっと違和感があって、馬鹿馬鹿しい感じをずっと持っていたり、それは「バレンタインデー」や「中元・歳暮」とかもそうでした。まったく嫌なガキですな。「おとしだま」という制度に疑問を持つ小学生ってやっぱり変ですよね。素直に喜べ! って感じですね。でも「こんなの変だよ。いらないや!」なんて突っ返すよりはマシか。そんな奴は超大物か、救い用の無い馬鹿かどっちかだ。

松本零士作品には「999」でもそうだったんですが、一回分の物語の終わりに、両端が丸まった古い一枚の紙みたいのに、何か哲学的な文章があったりするでしょう? そういうのにしびれたりしてたんですよね、小学生の頃から(それと同時に手書きのローマ字で笑えるような事がこそっと書いてあったりするのも好きでしたが)。

今日読んだ「ワダチ」でぐぐっと来たのは、<ネタバレ注意>冒頭の方で主人公のワダチのお金が盗まれるんです。犯人が誰かは薄々気付いてるのですが、「みだりに疑ってはダメだ」と自制したりするんです。結局自責の念から犯人だった女性は自殺してしまうんですが、そういう正直者がダブルで出て来たらちょっと弱かったりします。</ネタバレ注意>あと徹底的に対比される「金持ちと貧乏人」とか「男前と短足がに股」とかは結構松本零士作品の特徴ですよね。しかも貧乏層の人々の人情にも泣ける。

そして、この作品は読んでいて寒気がする程恐ろしい未来の姿が描かれています。いや、未来というより、今となってはそんなに遠くないうちに来るかもしれない危機みたいなもの。そしてそれはやっぱり人間が好き勝手した結果だというような事です。この作品が描かれたのはボクが生まれて間も無い一九七〇年代前半です。まだまだ右肩上がりの頃(でもオイルショックとかがあったんだったっけ?)、そういう時にこういう作品が出てくるのは必然なのかどうなのか? ボクはまだ人間の言葉をしゃべり始めたばかりなのでよく分かりませんが、三十年くらい経った今では増々怖さを増しているテーマがあってゾッとします。松本零士作品はテーマが普遍的なのか、全然色あせなくて面白いです。

まぁこの作品、なんやかんやと言ってみても、実際に一番恐ろしく描かれているのは、「おなご」だったりするのでした。女は怖いし強いし(笑)。イヤ、ホンマ。



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