コラムというほど大袈裟でなく、日記というほど更新もできない。
ただ、pazapのメンバーが思ったことを書き綴るページです。
pazapの曲の譜面をちゃんと作ろうと悪戦苦闘をしてます。
手書きのはあるにはあるのですが、自分だけが分かるような書き方をしてあったり、書き間違ってたりしてちょっとあてにならない感じなのです。今日は「ひげの魔法」を仕上げたんですが、八時間くらいかかってしまいました。この調子だと「魔女」なんか何日かかることか。いや、やっぱり完全に手作業で譜面打ち込んだからなのかな? 時間かかったの。効率良くやるにはmidiデータを「譜面を印刷する用」に編集して、ジャストにクオンタイズしたりとかして、それをインポートしてやったらもっと早く出来るような気がするのですがね。今度はそうしてやってみよっと。
でも本当は譜面の用意するよりも曲を完成させなければいけないのでした。今はメインでは9拍子ポリリズムの曲とかを作ってるのですが、変拍子ボサノバとか他にも色々と作りたいのがあって、結局は中途半端。そして今日は風呂の中で急に思い立って、バリの「ケチャ」をイメージした曲を作ろうと思い立ちまして困っております(笑)。色々と思い付くのはいいのですが、そういうアイデアやスケッチが発酵して、しまいには腐っております(笑)。さぁ明日は「ケチャ」について調べるぞ! ケチャの音源なんか持ってないからなぁ。唯一あるのは、前にNHKでやってた西村朗さんの「ケチャ」っていう曲のヴィデオくらいですか。しかし、この作品はエキサイティングなんですよねぇ。久しぶりに聴いてみようっと。ケチャケチャ。さぁこの響きで何を作ろうと思っているか、分かった人には……分かる訳ないか……(謎)。
二〇〇三年二月二十二日に紹介した、
京都精華大学
のDCPRGのライヴは一旦中止とアナウンスされ、また持ち直し(笑)、そして結局中止になってしまったと某BBSにて菊地さん本人が書き込んでました。誠に残念なのですが、その代わりに同じ日に場所を変えて公演は行われるとの事。菊地さんの某BBSでの最新リーク情報によると有名な西のつく講堂
で開催だとか! それはまさに「京大西部講堂」ですね!! こっちの方が嬉しいかも知れない(笑)。主催者は精華大ではなくて主催者個人の仕切り
だそうです。どっちにしてもライヴが見られるのは嬉しい!
そして精華大学の
公開講座GARDENの
音楽表現講座「難しい音楽」
は勿論ライヴの前日に精華大の仕切り
で開催されるのですが、前に請求してたパンフレットと受付が始まってから早々に申し込みをした仮受付証が、ちょっと前に別々に送られて来てました。お金を振り込んで本受付となるようです。まだ振り込んでないので早く振り込まないと。
この講座、「アセンブリーアワー講演会」っていうのがあって、平日(木曜日)の昼間なのですが、無料で申し込み不要な講演会があるんですね。こちらは五月八日から七月十日まで五回行われるそうです。行ってみたいのもあるのですが、平日かぁ……。
2003年1月30日の日誌に誤りがあったので修正しました。指揮者、小澤征爾さんがヨーロッパをスクーターで旅したときにスポンサーになってくれたのは、富士重工業だったそうです。ボクはずーっとホンダだったと思い違いをしてたみたいです。すいませんでした。書く時に手元に「ボクの音楽武者修行」がないので確認せずに記憶から「ホンダ」って書いてしまいました。この間抜けな思い違いが分かったのは、「 文藝春秋 」(2003年5月号)に劇団四季の浅利慶太さんが連載を始めた「時の光の中で」という記事があって、その第1回目の「小澤征爾ボイコット事件」の記事中にそう書いてあったからです。
「小澤征爾ボイコット事件」というのは一九六二年にNHK交響楽団の団員が、その当時弱冠二十七歳の指揮者の態度が気に食わないと演奏をボイコットし、団員からのリークでマスコミも「オザワ・バッシング」に。その間で収集をつけるべき事務局やNHKまでもが、(悪い意味で)極めて日本的な「ことなかれ主義」を発揮し、契約内に入っていた演奏会を一方的にキャンセルしてきた、というような事件なのです。ボクが産まれる何年も前の話しなので、勿論直接は知らないのですが、そういう事件があったという事は、例えば武満徹さんとかの本の中で読んだりしては知っていました。この記事はにはその事件の経緯と、その中で小澤さんの友人たちがどういう風に小澤さんを救ったかが書かれていて、とても興味深いです。
あちゃ。昨日のアクセスログをftpサーバーからダウンロードするときにしくじってしまいましたですよ。Terminalでgetする所を、タイプミスしてputしてしまって、昨日のと置き換わってしまうという、オマヌケ(笑)。コマンドでやってると強制的に置き換わるのですよね。危ない危ない、気をつけないと。
それはそうと、かなり暖かくなってきましたですね。これくらいの季節になってくるとボクはウミガメを見に行きたくなるんですよね。寒いのが苦手で夏が好きなボクとしては、やっぱりこう「暖かくなってくる」っていうのがたまらなく嬉しいのです。イースターの喜びっていうのですかね? 再生って感じです(笑)。今まで凍ってましたから。で、ウミガメなんですが、ボクは高校の頃に通っていた隣町の 日和佐町 は「ウミガメのまち」なんですよね。夏になるとこの町の 大浜海岸 にウミガメが産卵に来ます。暖かくなるとこの大浜海岸に海を見に行きたくなるんですよ。海は大好きなのですが、寒い時に行きたくないので、暖かくなるとまっさきに行きたいという訳なんです。「海が好き」な奴が寒いからといって行きたくないのは本当に海が好きなのが疑問な所ですが、とにかく冬は凍ってますので行けないのですな(笑)。で、この大浜海岸には「カレッタ」っていうウミガメ博物館があるのですが、その隣の国民宿舎「うみがめ荘」の入り口の所(カレッタの出口あたりになります)へ行くとウミガメが泳いでいるのです。カレッタに入らなくても見れるのです。ここが楽しい。あぁ行きたいなぁ。でも折角の春も台無しなこのヒノキの野郎め!
んげげげげげげげ。頭の中がぐちゃぐちゃになるぅ。何かというと、ちょっと前に買った「逆説論理学」という本の冒頭に出てくる話しです。どういう話しかというとですね、これは実話だそうですが、ある人(男)が居まして、仮にその人を「私」とします。その「私」が結婚した「奥さん」は再婚で、成人した「娘さん」が居るのですが、その「娘さん」と「私」の「父」が結婚するという話しです。つまり「父」は「私」の「義理の息子」(笑)。これは一九二二年のチューリッヒの新聞に載ってた投稿なのだそうですが、この本の著者の方も引用してる部分を引用してみたいです。
「何か月かして、私の妻は男の子を産みました。その子は私の父の義弟であり、また私の叔父でもあります。私の父の妻、つまり私の養女も、男の子を産みました。そこで私には弟と孫が同時にできたことになります。私の妻は、私の(義)母の母なので、私の祖母です。ですから私は私の妻の夫であると同時に孫でもあります。いいかえれば、私は私自身の祖父です。」
→逆説論理学/野崎昭弘著/中公新書(ISBN4-12-100593-7)
どうでしょう? 脳みそ沸いてくるでしょ? ボクだけ? この本には図が付いてて分かりやすくしてありますし、分かりにくい人は実際に本を見てみましょう。かなり面白そうですので(まだ読み出したばかりなのです)先が楽しみ。
SafariというMac純正なブラウザの新しいベータ版がリリースされてまして、ボクも落としてみました。
今までのは使い物にならないので、ほとんど使った事がないです。今回のはCSS廻りのバグやら色々と直ってたり、日本語関係が改善されたりと、ちょっとづつ使えるようになってきてる感じですね。でもなにより待望のタブブラウザになったのですね! もうボクはタブ無しでは無理です(笑)。だから試しに使ってみたら、かなり使えるではないですかっ。一番良かったのは「ブックマークバー」にフォルダが登録できるのですが、そこの一番下に「すべてをタブで開く」っていうのがあるんですね。これはいいです。Chimera改めCaminoも出来るのですが、Caminoの場合はフォルダにするか、一発で全部がタブで開くかどっちかだったので(ひょっとしてやり方を知らないだけだったりして……)、それを選べるのは良いですね。例えばボクはNewsっていうフォルダを作ってあって、そこから選択してサイトを見てたのですが、試しに全部をタブで開いてみました。三十くらいのサイトがタブで開いて、そのタブの所でステイタスバーみたいなのが丸くクルクル回るのは圧巻ですね。いやぁ楽しい。早速Caminoからブックマークを引っ張って来てCaminoと二本立てでメインとなりそうです。正式リリースが楽しみ。
そうやって遊んでて、ふと徳島新聞のサイトで見つけた記事です。
ホテルグランドパレス徳島(徳島市寺島本町)は、昨年六月に自己破産申請し閉館していたホテル春日(同町)を購入し再生する。内外装とも全面改装し、本格的なデザートショップを核とした「ホテルアグネス徳島」の名称で、八月八日にオープンさせる。徳島駅前周辺の活性化の一助としても注目を集めそうだ。
→グランドパレスが新別館 菓子店核にホテル春日を改装(徳島新聞社)
「ホテル春日」って懐かしい響きを久々に聞いたと思ったら、破産していたのですね。ここはボクが高校の頃、演劇の県大会の時に宿泊した事があります。懐かしいなぁ。出演する前日にはこのホテルの広めの部屋を借りて、夜中まで練習をしていたのを思い出しました。そんなに大きいホテルじゃなかったのですが、大部屋じゃなくて、2人ずつの洋室なんていうのに初めて泊まったので、何かと印象深いです。演劇部で泊まったホテルでいうと、もう一つ印象に残るのは、高校三年の時に高知県へ四国大会に行った時のホテルですね。ここは和室だったんですが、部屋が「般若心経」だらけ(笑)。こりゃひょっとして何か出るという事なんじゃないかって怖かったです。まぁ今なら仏教徒になったので全然気にならないかもしれませんが。
それよりお菓子屋さんだなんて、今度帰った時には立ち寄らねば! ってまだ出来てないのだった(笑)。八月八日にオープン
ってのはアレですね。阿波踊りには間に合わせるぜ! って事ですな。
結局返却時期が近付いて、読まないだろうなぁと思っていた本も、ちょっと読んでみたら実はかなり面白いという事が分かって、一気に読んでしまった。
「クルド人とクルディスタン 拒絶される民族」(中川 喜与志著/南方新社)これを読んで思った事は、日本という国に住んでいて、何気なく暮らしてるこの暮らしは、世界から見るとひょっとしたら「特殊な環境」なのかも知れないという事です。
そういえば前にインドのホテルに泊まった人が、あまりに停電するので「どうしてインドはこんなに停電するんだ」と言ったという話しを聞いた事がありました。それは安定した電気が供給されているのが当たり前の日本を「基準」としての発想で、実はこの日本の方がが世界的に見ると「特殊な環境」なのではないか、という話しでした。この本を読んでたら、ホントに日本という国が「特殊な環境」のように思ってしまいます。そしてそんな「特殊な環境」に住んでいる人が世界の主導権を握り、故意に、そしてまた無意識に、クルド人みたいな人たちを見殺しにしているのです。
一九八八年三月、イラン・イラク戦争の末期にイラク内のクルドの町ハラブジャで起こった五〇〇〇人の虐殺は、ご存じの通りあのサダム・フセインの政権がサリンなどの化学兵器を使ってクルド人の一般市民を虐殺しました。この事実を知りながら、実は世界は十年間事実上無視をしたそうです。それは「自国の国益の為にはイラクの一般市民に犠牲者がでるのはしかたがない」なんていうような力関係が理由のためのようなものだと思いました。つまり、この当時アメリカの敵はイランだったと言う事ですね。では何故十年後には問題にしたのか? そう、それは今度はイラクが敵になったから。どうもそういう事のようですね。十年後にやっと医療チームが入ったのだそうです。しかもクルド人を助けようとかそういうのではなくて、前科があるイラクが今度は多国籍軍に化学兵器を使うかもしれない。そのための「研究」としてだという事が見事ですね、まったく。
結局この世の中の出来事や、人々の運命は、政治の力関係によって左右されてしまうという事ですね。その点でクルド人の人たちは多くの国に分断されて、国家や自決権を持たない民族です。この民族の運命はまさに、こういう力関係の国々によって無視され、迫害を受け続けた歴史を持つ民族です。そして日本も勿論この民族を無視し、見殺しにしてきた国のひとつなのは間違いない事実なのですね、悲しいかな。実際にトルコから難民認定を受けたいと日本に来たのに、ろくな対応をせずに強制送還され殺されてしまった人も居るのだとこの本にも載ってました。こういうのを聞くと「そんな話しは知らなかった」なんていう言い訳が出来るのかとか自分自身を責めたくなります。せめてこういう民族があるんだという事を知っておく事が、島国日本に住む閉鎖的な日本人には必要なのではないのだろうかと強く思いました。
この本の最後に掲載されているオジャラン氏(クルド人ゲリラの指導者)とのインタヴューで、「湾岸戦争の時に日本がとった態度」についての問いに対するオジャラン氏の発言は鋭いです。
日本は、米国の、極めて存在感の薄い、主体性のない、無人格な共犯者としての行動をとった。まるで村人が地主のいうことなら何でもそれに従う様に(笑)。つまり極めて従属的な、そして無個性な政治である。あまりに主体性がない。あまりに限度知らずだ。九十億ドルもの、しかも財源の当てのない巨額な資金を、米国の軍事独占資本家たちに送り届けた、ひと言でいえば、これは、日本政府の責任者が誰であれ、日本政府の主体性のなさを証明するものだ。明日また別の戦争が起こって、また日本が同じように米国を助け、追従するなら、日本はますます墓穴を掘ることになるだろう。
→「クルド人とクルディスタン 拒絶される民族」(ISBN4-931376-59-2)より
日本にメリットがなくなった時、もしくは他との力関係がおよんだ時には、間違いなくアメリカは日本を助けないでしょうね。いつでも助けてくれる訳じゃないのは歴史が証明してるんですね。まだ「特殊な環境」に居る日本はそれに気付いてないだけかも……。
セッション用にとチックコリアのスペインの音源を探してみる。何かあるだろう……と思ったら以外と無いのでした。これだけ有名な曲だとチックコリア以外でもどこかにありそうなものなのになぁ。んで、ひとつだけ見つけたのは、やっぱりチックコリア・アコースティック・バンドのやつ。それも難しい方のヴァージョンなんですよね。こりゃダメだ。ノーマルの方がいるんだけどなぁ……とCDをひっくり返していると、「こんなCDいつ買ったっけ?」というようなのや、買った記憶は微かに有るものの、聴いた記憶がないものとかが色々と出て来てびっくりするのでありました。リストアップしてみると……。
チックコリア・エレクトリック・バンドのライヴは1985年のライヴ。なんとトリオなのだ! 勿論ドラムはDave Weckl、ベースはJohn Patitucci。このシリーズで出てるアコースティック・バンドのブルーノート東京でもライヴ盤(なんとドラムはヴィニー・カリウタ)は持ってるのだけれど、これは全然覚えてなくて見てびっくりしました(笑)。Max Roachのはオーケストラとの共演。ジョン・マクラフリンのソロは七八年の録音。豪華なミュージシャンが一杯ですね。例えばビリー・コブハム(ds.)、ジェリー・グッドマン(Vn.)、ナラダ・マイケル・ウォルデン(ds.)、チックコリア(p.)、スタンリー・クラーク(b.)、ジャック・デジョネット(ds.)、ジャック・ブルース(b.)、トニー・ウイリアムス(ds.)、カルロス・サンタナ(g.)とか。プライムタイムは永井敏巳さんがいるからプログレのインストなのかなぁ……(笑・知らないで買ってるのだね)。
いつも欲しいCD一杯あるなぁ、とか思ってるのですが、その前に買ったCDちゃんと聴け! っていう事ですね、まったく。
もうあんまり戦争の事は書かないでおこうといつも思うのだけれど、どうしても書いてしまう。実際今日も違う話題を下書きしてたけど、それを載せるのをやめにした。戦争の話題をインターネットで見ていると、とてつもなく腹が立ち、途方も無く悲しくなり、時には実際に涙を流しながら、ある時は涙も出ない程呆然とさせられる。そういう記事はたいがい海外発であったり、インターネットのページであって、決して日本のテレビ番組でも新聞でもない。
日本のテレビも新聞も視点が対象から遠い。だからそこで本当に何が起こっているのかがかすんで見えにくい。それは従軍記者のリポートでも同じ。これは単に米軍の検閲というフィルターがかかっているせいだからだろうか? それにくらべて海外のリポートは凄まじい。「覚悟して見て下さい」と誘導されたページは、あまりにも悲惨でとても見られないような、頭が割れて顔色をなくした何の罪も無い子供の写真が溢れている。辛い。とても正視できない。でもこれがほんとうなのだ。いや、間違いなく現地はもっと悲惨なのだろう。
従軍記者の書いた記事にも、胸をえぐられるようなものがあるのを今日知った。マーク・フランチェッティというアメリカ海兵隊に従軍した(英国?)記者の「死の橋で一般市民に発砲した米海兵隊」というリポート(ワイドショーでお馴染みの 有田芳生さんの日記の「四月九日(水)」の中に翻訳されたものが紹介されている)。
いくらラムズフェルドが「一般市民の犠牲者は最小限に」って言ってみたところで、それは机上の論理に過ぎないのがハッキリと伝わってくる。このリポートを読んだらそんな戯言も、「これが戦争だ」とか「国益だ」とか「誰が悪い」なんていうのも、全て軽すぎる。力関係の理屈や政治的・経済的な意図があるような理論だけで、この戦争を語るのは、あまりにも身勝手で偏っている。先のリポート中の米軍兵が一般人を殺した時の「でもしょうがなかったんだ」という言葉を聞いたら、ラムズフェルドはどう思うのだろうか? きっとこの兵士もこの日の事を生涯忘れる事が出来る訳が無い。そしてもちろん殺された市民の遺族もそうだ。有田さんの文章が突き刺さる。失われたもの、奪われたものにとって、戦争は永遠である。兵士にとっても住民にとっても。
たとえ明日戦争が終わったとしても、それで「終わり」という事は絶対にない。
政治的意図がない、利益とか不利益とかがない、力関係がない、そういう生の声をちゃんと聞かなければいけない気がする。ただそこにあった事実を。それが実際にこの戦争を直接体験してないボクたちがまずすべき事かもしれない。実際に体験してないと言っても、関係のない事ではないという事は忘れてはならないからだ。個人の意見がどうであれ、日本の国家としては間違いなくこの殺戮行為に参加したのである。直接的か間接的か。そんな事はまったく関係ない。
しかし最近思うのは、政治的・経済的な利権や力関係で量られた天秤で、重い方に乗っている人たち以外は、この世では基本的人権は無いに等しいという事。残念ながら、それが現実のようだ。
ええと、毎日産經新聞のサイトで「産経抄」を読んでムカムカし、反論を一〇〇〇字以内で書こうと思ったのですが、あまりにもバカバカしいので結局ヤンペしたすぎもとです(笑)。ただ、ちゃんと主張してるのは凄いとは思うけど、どうもボクには合いません。
そういえば新聞って「おまけ」で勧誘しようとする所がりますが、きっと「おまけ」が重要だと思っている人が多いからなのでしょうねぇ。まったく理解できません(でも「番組表」だけがあったら良いっていうのならどこも同じだし、それならばプラスアルファで決めるっていうのも有りなのかもしれませんが……)。前にテレビでやしきたかじんさんが、勧誘に来た新聞販売店の人を「まぁ入れ」って言って家に上げて、「あんたことの新聞はこういう問題についてどう考えているんや」って国際情勢の話しを延々として、勧誘員が帰りたがったって言ってましたが(笑)、確かに勧誘してる人はそういう「新聞の内容」について売り込んでるのか、つまり商品知識をちゃんと持ってるのかはいささか疑問です。新車の販売をしてる人がその車について説明を求められて、答えられないのなら商売になりませんよね。一部の新聞だけの話しだと信じたいですが。