パザ日誌

コラムというほど大袈裟でなく、日記というほど更新もできない。
ただ、pazapのメンバーが思ったことを書き綴るページです。


2002年12月20日(金曜日)----すぎもと

一億総評論家時代だから考えてみたい事

町民の意見どころか裁判所まで無視して、無理やりに小学校を取り壊そうとするどこぞの首長さんには、まったく怒りを通り越して笑ってしまいそうで、それまで通り越して猛烈に腹が立ってくるのはなんだろうって気分です。いつの間に町民のシモベである筈の政治家さん達は主人より偉くおなりなされて、えばりくさって勘違いしやがってるので御座いましょうか? 

と、まぁそんな、まったくの勘違いな人のニュースに腹を立てたりしている人も多いと思いますが、そういう時にこそ一番考えてみたい事がありますですよ。それは今回の場合、小学校を「仕事」として取り壊してる人。その人が自分だったらどうするのか? という事です。あなたがあの町長がしてる事を腑が煮えくり返る程怒ってる立場なら、「仕事」とはいえその行為を「自分はしたくない」と言えるのかどうかを考えてみて欲しいのです。そのために仕事をクビになるかも知れない、この不況の世の中で……とか立場によっても色々とあるかもしれないですね。あるいは、あなたが経営者で、そういう仕事の依頼が来た場合も同じです。家族の為だったらやるでしょう! という人もきっと多いはずですよね。ならばあの町長が「家族の為にやっているんだ!」なんて言った場合、あの町長を責める事ができるのだろうか? とかね。そういう事も一度考えると難しい問題も出てくると思うのですよ。

こういう問題は実際問題として実は身近な問題だったりするような気がします。もちろん指示するほうが悪いのですが、「金」とか「地位」とかの奴隷になって、(例えそれが見ぬふりであっても)その片棒を担ぐような場面は以外と少なくないのかも知れません。結局どこで線を引くかって事かもしれませんが、その線を引く為の「根拠」について、ボクも考えさせられたニュースでした。(不本意ながらでも)仕事だからしょうがないなんていうのは、所詮会社の奴隷になっているという事なんですが、「仕事なんだから」っていうのは「酔った上での事」と同じぐらい便利に使える台詞でもあります。


2002年12月19日(木曜日)----すぎもと

クリスマス・イルミネーション

京セラのクリスマス

おささんの昨日の日記にも書いてありました ロームイルミネーションは、確かテロがあったりで自粛とかしてたのでしょうか? 一時やってなかったような気がするのですが(気のせい?ではなかったようです)また復活という事で嬉しいですね。ボクも初めて見た時はビックリしたものです。(仕事で春日通りを何気なく通りかかった時見つけて何事かと思った……)それぐらい写真で見るのとはまた違ってインパクトがありましたね。何年か前のこの季節、わざわざ見物にも行ったです。

そしてROHMの派手なイルミネーションとは対照的に、粋なイルミネーションが伏見区は新堀川通り沿いの 京セラ本社ビルの イルミネーションですね! この時期になるとこの辺りでは一番のノッポビルであるこの京セラのビルは、その高さを生かして巨大なモミの木と化します。 なんと室内灯を利用しての粋な計らいで、ROHMのとはまた違った感動があります。京都ではなにかと高いビルが嫌がられますが、こういう演出をしてくれたら高感度もアップっていうもんでしょう! いや、嫌味で言ってるんじゃないですよ。こういうのボクは好きです。どっちのイルミネーションもやり方は違えども、地域の人々に喜んでもらおうという気持ちが伝わってくるようで、なんか嬉しいですね。

(写真:クリックしたら大きいのが見えたりしますよん)

追記(2002-12-20)
やっぱり2年間休んでいたらしいです。
38万個の電飾が復活  2年ぶり、ローム本社

2002年12月18日(木曜日)----すぎもと

維新派の「王國」を見た

何が録ってるのか分からないヴィデオテープに、何が入っているのかを調べてみたりしていたら、色々と出て来るわ出てくるわ。「あぁあぁ、こんなん録ってた!」っていうのから、「何コレ? いつの間にこんなん録ったんやろ?」っていうのまで。例えばそのうちいくつか書き出してみると

  1. 「ゴジラ」の曲で有名な伊福部昭さんのドキュメンタリーやらゴジラの組曲
  2. 劇団「リリパット・アーミー」の芝居「破天鬼」
  3. 馬呆のライヴ
  4. 憂歌団のライヴ
  5. アカショウビンのドキュメンタリー
  6. へりたこぷーちゃん
  7. 小沢征爾とウィントン・マルサリスの特番
  8. Charles M. Schulzさんの時の「知ってるつもり」

なかでも、まったく覚えてい無くてビックリしたのが、劇団 「維新派」 の芝居 「王國」 でした。多分夜中にやってて面白かったので、慌ててテープ探して録画したって感じの録り方をしてあるので、そうなんだと思うんですが(まったく記憶がないので……)、それからも全然見ずに放っておいたって事ですね。発見したついでに見てみたのですが、これが最高に面白いのですね。個人的には特に曲がいいですね。維新派とはずっと組んで音楽を担当しているのは 内橋和久さんですね、素晴らしい。維新派のサイトには

標準語を使わず大阪弁のイントネーションを生かし、5拍子、7拍子など変拍子を多用したリズムにのって紡がれる台詞は、大阪弁オペラ、シティケチャと呼ばれるように、まさに現代が生んだ新しいオペラといえます。

まさにこの「大阪弁」と「5拍子、7拍子」なんていうキーワードに明らかに「ビビ」っときて、反射的にヴィデオに録画したものと思われます。変拍子とかに合わせて役者さんが踊りながらリズミックな大阪弁の台詞を歌う、この絶妙な感じが素晴らしいですね。そして「芝居っていうのは総合芸術だ」って高校の演劇部時代の先生が良く言っていた台詞を思い出して、感動と同時に「これには勝てないわ」って感じでやられてしまいましたです。

いや、別に維新派と勝負しようなんていう恐れ多い意味じゃなくて、例えば音楽だけを演奏するんじゃなくて、音楽に合わせて体全体で表現することや、台詞、台詞のリズムと掛け合い、舞台装置、照明……などなど、全てでしかも完璧に表現されると圧倒されます、ヴィデオでも充分に。Frank Zappaもそういう所があったのですけど、バンドのライヴとかでも、1曲1曲普通に(というか、それが普通と思わされている形式で)演奏する以外の方法で表現するというのがもっとあってもいいんじゃないかなぁと、この芝居を見て改めて思わされてしまいました。


2002年12月17日(火曜日)----すぎもと

交通法改正

運転免許の更新の案内が届きまして、一般運転者なのに有効期間が5年と書いてあって、不思議に思って調べてみたら、なんか改正がされていたのですね。酒気帯び運転とかの罰則が厳しくなっているのはニュースとかで知っていたけど、なんせ酒自体を飲まないので関係ないやって思っていたからか、そればかりクローズアップされたからか、更新期間に変更があっただなんて知らなかったです。

平成14年6月1日から施行されている交通法改正で、一般的な所で変更になったのは

という所でしょうか。

原則5年というのは、今まで優良運転者だけだったのが一般運転者も5年になったのだそうです。一般運転者とは過去5年間に違反歴が軽微な違反(人身事故を除く3点以下の反則)が1回だけの人という定義だそうです。さらに、更新時には講習がありますよね。その時だけ「ちゃんとしよう!」と思うヴィデオ(苦笑)とか見せられたりするヤツですが、あれは今まで前回の更新から今回の更新までのあいだに3年間違反がないと一般運転者扱いで60分の講習だったのが、今回の改正で更に過去2年をプラスして過去5年に軽微な違反(3点以下)がある場合に変更されているそうです。つまり有効期間が5年の一般運転者は講習が60分、3年の人は120分という事ですね。だから前回の更新の前日に4点の違反をした人は今回もロング講習を受けなければならないという事になります。どうぞお気を付けを。……て皆知ってるのかもしれませんが(笑)。

参考サイト

2002年12月16日(水曜日)----すぎもと

きょうの料理

昨日は 田中耕一さん帰京 JR京都駅、出迎えの拍手に笑顔だとか。そういえばその頃ちょうど京都駅に居たのになぁ。生田中さん見たかったなぁ、残念。今日もたまたま朝、島津製作所の前を通りかかったのですが、テレビ局のカメラマンさんやらが田中さんが来るのを今か今かと待ち構えておりましたですねぇ。でも後でニュースを聴くと正面入り口から入らずに、人知れず裏口から入ったのだとか。ははははは。田中さん、もう追っかけられるのこりごりなんでしょうねぇ。

そして、ボクが勝手に2002年の嫌し系ナンバーワンに選んだ田中さんですが、もうほとんど同率1位とも行って良いくらい、というかミスター嫌し系は田中さんで、ミス嫌し系は勿論アコムの佐藤さん(本名は小野真弓さん、1981年3月12日生まれ、千葉県出身、血液型O型、身長158cm)なのですが、そんな事を書いたらもう毎日のように「アコムの佐藤さん」という検索キーワードでやってくる人がいるのですねぇ。かなり注目度は高い模様。でもあんまりCM以外では見かけませんね。そのうちブレイクしたらいいのにと思う気持ちと、密かな人気のままでいいじゃないなんていうファン心理が入り交じって、なんか複雑な気持ちになりますね(笑)。

そんな小野真弓さんの笑顔を見られない素晴らしいNHKでは(笑) きょうの料理グッチ裕三さん。 いつも「 ハッチポッチステーション 」かと思う程歌いながらの登場で楽しいです。今日のメニューは「モーむす」という牛カルビが乗ったおにぎり(笑)。天むすを見て考えたんだとか。それならついでに胡麻豆腐を使ったり、胡麻と納豆とかで「ごまっとう」なんてのもやって欲しかった所ですなぁ。しかし今日のグッチさんはいつもの「電動コショウすり器」ではなくて、ふつうにガリガリと手ですってましたですねぇ。どうしたのか物凄い気になりましたです。忘れたか?(笑)しかし最後はクリスマススペシャルという事でクリスマスソングまで歌って(ギャグ無し!)とてもよかったですねぇ。


2002年12月15日(日曜日)----すぎもと

歎異抄セミナー

昨日の北山にいったときにちょっと寄ってみた「 ヴィレッジ・ヴァンガード」。もともとはニューヨークのジャズクラブの名前を取ったネーミングだと思うんですが、今や本やCDや雑貨やらのセレクトショップとして京都にも新風館、北山と2件あります(あれ、河原町オーパのは無くなったの?)。

大阪はアメ村の三角公園の近くにながーいエスカレーターに登っていく店がありますね。北山の「フリーマーケットパラダイス」の斜め向かいにあったので寄って来たのですが、本のコーナーにボクの尊敬するひろさちや先生の本が何冊かあってびっくりしましたです。良いセンスですな。やっぱり宗教学者と呼ばれてる人のなかでも、ひろ先生は明らかに個性的ですからねぇ(「先生」っていう呼び方は尊敬している場合とバカにしている場合があってややこしいのですが、もちろん尊敬の意味で書いてありますので念の為。それに孝三先生にもひろ先生にも直接教えを乞うている立場でありますので、実際にボクからしたら先生な訳です。政治家先生のようなバカにした呼び方とは訳が違いますですよ)。

今日はそのひろさちや先生の講演会に行って来ました。「きんきまんだらの会」主催のこの講演会は京都ではだいたい2ヶ月に1回くらいの割合で行なわれていて、ボクはもう5年ぐらい通っています。場所は最近は西本願寺の南隣にある 興正寺という浄土真宗興正派の本山の研修センターを借りて行なわれていて、毎回変わるゲストの講師(お寺の住職さんとか学校の先生とか)と、ひろ先生の「歎異抄セミナー」が行なわれています。

学校の教室くらいの広さの部屋で20人くらいの人数。普通の文化人の講演会ならとうてい成り立たない条件だと思うのですが、これが続けられているというのが本当に凄くて有り難い事だなぁと、参加させてもらう度に思いますです。この会に通っていてボクが面白いと思ったのは、ボクは初め2年ぐらいは一般として拝聴させていただいていて、その間に「きんきまんだらの会」への入会を一度も誘われた事が無いという事です。いや別に「きんきまんだらの会」というのは宗教教団でもなんでも無くて、ただこの「ひろ先生の講演会を拝聴して、仏教の考え方を日常生活で実践する」という目的の会なだけで、別に布教活動の必要もないのですが、それでもこういう組織なんていうのはやたら会員を集めたくなるじゃないですか、普通。街角や家にやって来て勧誘する新興宗教とはまるで正反対で、だから逆になかなか「入会します」なんて改めてこっちから言い出せずに入会が1年ぐらい遅れた程です(笑)。ちなみに会員特典は、この講演会の聴講料が安くなるのと、ひろ先生のエッセイといかが載った会報が貰えますのです。

今日は「仏教の死後観」みたいなテーマのお話しでしたが、「輪廻転生はインドの古くからの死後観で、仏教の根本は死後の世界については『考えるな!』という事だ」なんて、世間の認識とは180度違うと思われるお話しでしたです(だいたいにおいて仏教の認識は、世間と逆なものです。だって世間というのは道徳的なもので、宗教っていうのはその逆なのですから)。

こういう事をちゃんと発言する人が何でいないんだろうと不思議なんですね。仏教で言えば例えば葬式にしても仏教には本来関係ないものです。そういう事で生計をたてているお寺の住職が、そういう事を発言できる筈はないのですが、逆にそういう事が日本の仏教界を骨抜きにしてしまって、インチキ宗教が花盛りな訳ですな。こういう事を書くと「宗教は危険だ」なんて思われるのですが、宗教を持ってない危険もちゃんと考えないといけないですね。薬というのは毒にもなるものです。まぁ、資本主義なんてのも充分に宗教的だと言う事で。


2002年12月16日(土曜日)----すぎもと

レンタルボックス

ついでがあったもので、またまたMKバイキング(上賀茂)に行って来ましたです。今日はデザートにライチと洋梨があってハッピーって感じですか。缶詰だと思いますが、庶民感覚でボクにはうってつけです。そのあとに北山通りを歩いてたらもらったバイキングのチラシは1180円也。ドリンクがついてたり、美味しそうなのですが、それならボクはMKに2回行くと思ってしまうセコい人間なのでした(笑)。いや、でもこっちも行きたいなぁ、デザート付きっぽいし……。

それはさておき、北山に行った訳は最近オープンしたという某ショップを見に行って来たのです。このお店は、いわゆる「レンタルボックス」というやつで、店内にボックスが一杯有って(300個ぐらい?)、その箱を月々いくらで借りるというもので、その箱の中は自分の好きな様にディスプレイしたりして、自分の作品を展示して販売したり作品の発表に使ったりと、好きな様に使えるシステムです。料金は箱の大きさや位置によって違いますが、小さめの箱で1500円から、もひとつ大きい箱で2800円からという事でした。中に置いて販売するものも販売価格も自分で決める事が出来て、その売り上げから15%をお店側の手数料みたいな感じ(包装する袋や、商品タグとかの必要経費も含むと思います-違う模様です。タグは1個20円で購入なのだとか。2002-12-27捕捉)で引いたものが、箱のオーナーの方に振り込まれる(郵便振り込み)という事です。大阪のアメリカ村にも出店してるようで、ここで2店鋪目のようですね。まだ箱には空きがあるようでしたが、テレビとか雑誌とかの露出もあるようなので、興味の有る方はお早目にという事で。

こういうシステムの店は関西ではめずらしいのですが、東京の方では「 たま 」のパーカッションの 石川浩司 さんが東京の西荻窪でやっている「 ニヒル牛 」というお店が有名です。

この大量生産の時代に、プロ・アマ問わず「個人的な制作物」が陽の目を見る機会を増やせる場になればよいと思っています。  また、アーティストが気軽に自分の作品を発表、販売することができるようになる、いわば「1ヶ月間のミニ個展会場」でもあるわけです。

「フリーマーケットパラダイス」はどっちかっていうとフリーマーケット色が強い感じがしますが、ニヒル牛は石川さんのポリシーからか、クリエーター揃いで凄過ぎます。ある種クリエーターの登竜門みたいな感じになってますね。だからフリーマーケット感覚はゼロで、自分の作品を発表しよう! という感じがバシバシ伝わって来るし、そういう場を提供しようという素晴らしい店です。ニヒル牛は箱を借りるのにだいたい1年待ちだそうです。 こういうお店が増えてくれると面白いですね。


2002年12月13日(金曜日)----すぎもと

iMacくん昇天?

メールチェックとファイルサーバーに使っていた、iMac(ボンダイ)が起動不能になってしまいました。前日まで何の問題も無く機嫌よく動いていたのに、スイッチを押してもうんともすんとも言わなくなってしまったのです。

あらら(汗)。典型的な「バックアップ電池切れ」だといいな、なんて大丈夫なClassic2のを外して交換してみたけどダメみたいです。あらら(汗)。しょうがないのでハードディスクを外して、それをG4に繋いで大事なファイルだけを救出しました。

しかし初代iMacを初めて分解してみましたけど、以外に簡単でびっくりでした。発売当初メモリーを増設するのも大変だなんて良く言われていたような気がするんですが、ぜんぜん簡単ですねぇ。プラスドライバーでネジ3本外すだけです。でもハードディスクは大変だろうなんて思ったのですが、これまた簡単でびっくり。あんな制約の多そうな狭いスペースでも、ちゃんと簡単に交換できるように考えて有るんだなぁなんて関心しました。勿論G4とかの簡単さとは全然違いますけど、HONDAのエンジンルームよりは断然マシ(笑・でも慣れると以外とHONDAのエンジンルームもそれほどでもないんですけどね)。

とりあえず、iMacは「見なかった事」にしてそっと置いておく事にしますです(笑)。そのうちに機嫌を直して……くれないだろうなぁ(汗)。


2002年12月 12日(木曜日)----すぎもと

クリームホーン

クリームホーン

久しぶりに天狗堂海野製パン所の「クリームホーン」を食べました。まぁ、いわゆる「クリーム・コロネ」ですね。モスラの幼虫じゃない事は確かであります(笑)。

このパンは寒い季節の限定なのか、夏には見かけませんので、何か冬が来たなぁという感じで頂きましたです。天狗堂さんは三条通の御前の南東角のあたりにあるパン屋さんで、ボクが京都に出て来て一番始めに住んでた所の近くでして、そんなに頻繁に買ってた訳じゃないですが、バイト中なんかにたまに食べては美味しいパン屋さんだなぁと思っておりました。

「京都のパン屋」なんていう特集には、あんまり出てないような気がするのですが(知らないだけかも知れませんが……)、とってもおススメのパン屋さんだと思います。この「クリームホーン」はクリームの中にレーズンが入っているのが特徴で、これがとっても絶妙で美味しいです。ボクはレーズンがあまり好きじゃないのですが、これは美味しいと思います。一緒に買ったチーズパンもこれまた美味しかったので、幸せな気分でありますですよ。


2002年12月11日(水曜日)----すぎもと

必要性と善悪

オスロで行なわれた、ジミー・カーター元米大統領のノーベル平和賞受賞演説には感動しました。

一、戦争は必要悪かもしれないが、どんなに必要であっても常に悪であり、善ではない。お互いの子供を殺し合いながら平和に共存するのは困難だ。

素晴らしいスピーチですね。まったく当たり前の誰でも言えそうな台詞ですが、ここに日本人には理解しにくい内容が実は隠されているような気がします。それはこの引用の前半部分の「必要悪」という部分です。

ボクが尊敬するひろさちや先生によりますと、日本人は「必要悪」という感覚が希薄で、「必要ならば善」「必要がないものは悪」という感覚が強いというのですが、ボクもそう感じます。「必要性と善悪は別物だ」というのが分からないというのですね。「必要ならば善」と考えがちなのです。例えば「死刑は必要」と言うと「死刑は善」だと思ってしまう。「人を殺してはいけない」と言いながらも「あんなやつ死刑にしてしまえ!」と思ってしまうものですが、どんなに悪い事をしたやつに対しても、死刑は「絶対に悪」であると思うのです。だからといって道徳的には必要な場合があるから「死刑制度」があるわけです。でも死刑は絶対に「善」ではないのです。この感覚が日本人に希薄になってるのは、その「善悪」の基準であるはずのまともな宗教がなくて、道徳的な基準(たとえば法律)でしか思考できないからのような気がするのです。

「必要ならば、それは善だ!」という考え方の危険性をちゃんと知って、「善悪」というのが何かと言う事をちゃんと考える必要が、今の日本人にはあると思います。カーター氏の発言をちゃんと噛み締めて、そして考え直してみる時期じゃないでしょうか。



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