パザ日誌

コラムというほど大袈裟でなく、日記というほど更新もできない。
ただ、pazapのメンバーが思ったことを書き綴るページです。


2002年10月10日(木曜日)----すぎもと

TOTOべんきのうた

「ロザーナ」のTOTOじゃなくて、便器の TOTOのサイトで、TOTO KIDSという子供向けサイトがオープンして、 それに合わせて「TOTOべんきのうた」という歌のCDを300人にプレゼントするそうだ。

さらに20年程前から、作者不詳のままボーイスカウトやキャンプ協会、幼稚園など子供たちの間で広く歌い継がれている「TOTOべんきのうた」(非売品)をCD化しました。この歌は高い認知を受けながら、いつ、誰が作ったのか?どのように広まったのか?など、そのルーツについては多くの部分が謎に包まれています。

ちなみにトップページからJAVA SCRIPTでオープンする「TOTO KIDS」のサイト内では、FLASHを使って歌詞つきで歌が聴けるコーナーがあり、歌(MP3)や歌詞(pdf)が無料でダウンロードできる。なかなか楽しい曲だけど、今まで聴いた事なかったなぁ。有名なのだろうか?  ひょっとして「おさかな天国」の次は「TOTOべんきのうた」ですか。でも、もしそうなった時「このうたはワタシが作りました!」なんて人が何人も出て来そうで嫌だから、そうはならないでほしいもんです、ハイ。しかし、「トイレに行けない症候群」なんて言葉があったのですねぇ。確かに学校のトイレでおっきい方はしにくかった。わざわざ授業中に行ったりしてたなぁ。

愛国心

なんか某サイトで「愛国心」なんていう話題があった。「愛国心」という言葉に一瞬嫌悪感が襲うのは、戦争の時の反動で育った世代だからか? 前に何かの本で読んだけど、「国」という言い方について、二通りの意味でとれるという事。ひとつは「文化」という意味での「国」、もうひとつは「政治的」な意味での「国」。でも本来は後者は「国家」というべきだ! という内容だった。「国」と「国家」を明確に使い分けろという考えには賛同できる。つまり、そういう意味で「愛国心」と言えば、戦争の反動で育てられた大体の日本人でも「愛国心」を否定はしないだろう。「日本」という文化を愛する気持ちは、白いゴハンをおいしく食べている瞬間に確実に存在するから。でも「愛国家心」と言われれば、嫌悪感が来る。これは無理もない事で、「国家」が国民を愛してないのに、何で国民が「国家」を愛する事が出来るというのか? という事じゃないかなぁ。非常にシンプルだよね。だから、「愛国心」はあるんだと思う。「愛国家心」は……いったいどうやって持てばいいんだ!(笑)

話変わって、 小心者の杖日記さんの 10月8日の日記に「しおしお」の話題があったので思い出しました。 PASCALSのCDをいち早くゲットした (20020916の日誌)、先月の「たま」のライヴでは、もう一枚CDをゲットしておいたのだった。
しおしお
それが、「 たま」のナゴム時代の作品で、CD化され今はなかなか手に入らなくなっているこの「しおしお」というアルバム。「なかなか手に入らない」という噂は聞いていて、ほとんど諦めていたら、ライヴの時売ってるのを見てびっくりした。しかも結構枚数が有って積み上げられていた。勿論、その時点では有ったけれども、今はどうかは分からない。ライヴだけの特別販売だったのかもしれないし。ただ、一緒に置いてあった「たま、ネパールへ行く」というヴィデオは「ここにあるだけで、販売終了」という事だった。この「しおしお」で一番気に入ったのは「かなしいずぼん」の石川さんの台詞部分の、ナマコのお嬢ちゃんはどっちが頭だかお尻だか分からないので、ガムテープで印を付けておいてくれっていうやつ。がっはっは。この発想、いつもながらに凄すぎで素晴らしいです。


2002年10月9日(水曜日)----すぎもと

いとこい師匠

昔から大ファンだった訳ではないけれど、今「一番好きなお笑い芸人は?」と聞かれたら、まちがいなく「いとこい師匠!」と答える。ボクが小学校の頃はいわゆる「漫才ブーム」というやつで、テレビでは東西問わずお笑い番組花盛りだったけれど、「いとこい師匠」をそんなに注目して見ていた事はなかった。小学生で「いとしこいしが好き」なんていうガキは、ちょと可愛げがないような気がするが、そんなませた様な可愛くないガキにボクもなりたかったもんだ。実際今の「いとこい師匠」のネタを見ても、小学生でも充分のめり込む事が出来るぐらい素晴らしいので、ひょっとしたらそういう小学生も多いんじゃないかなぁ。「好きな芸能人は?」と聞かれて「モー娘。」とか言ってるお子ちゃまより「いとしこいし!」とか「桂枝雀!」などというクソガキが居たらかっこいいけど、今からツブしておかないと(笑)末恐ろしい(笑)。

それでですねぇ、 夢路いとし喜味こいしオフィシャルサイトを発見したのだ。 しかも、漫才のダイジェストが3本も見られるのだ! うおぅ、すごい!! これだけでもかなり笑える。もう、これだけ何回見ても笑える漫才を出来るヒトは少ないんじゃないかなぁ。この間といい表情といい、絶妙すぎる。もうこれだけは訴えたい! 「いとこい師匠を人間国宝に!」

それから、すっかり見逃していた(というか、 栗原さんの日記(2002-08-03)を見て知った・笑)8月3日放送の ピタゴラスイッチ スペシャル(みかたをかえてみる のまき)の「たま」の知久さんが歌っている「なにしてるの点?」と、 栗コーダーの栗原正己さんがなんと歌っているという「ぼくのおとうさん」を見る事が出来た。知久さんのも良かったけど、何といっても栗原さんのうた最高。それに良い曲で感動したのだ。 歌詞もまた良くて、場所によって「おとうさん」が「かいしゃいん」になったり「おきゃくさん」になったり、こういう歌は大好きです。 きょういくてれびのたまてばこ さんを見ると、今日と同じ番組は再来週ぐらいまで放送されるようだけども、栗コーダーのメルマガ「笛仙人10月号」によると、11月19日まで栗原さんのうたは放送される模様。


2002年10月8日(火曜日)----すぎもと

ギターとウクレレの関係

今ウクレレが結構ブームなのだそうで、だからという訳じゃないけど、いちょウクレレの曲でも作ろうかと思ったりしているのだ。
ギターとウクレレ

インストもので変拍子。ウクレレでそんな事するやつぁ少ないだろうし、面白そうだなぁなんて安易かなぁ。ボクは多少ギターが弾けるので、ウクレレを弾いたりする時には、チューニングの違いからそれが邪魔になって、逆に邪魔臭いかなぁ……なんて思いながら、実はまた1からコードとか覚えるのが邪魔臭いだけだったり。そんな事を思いながらウクレレのコードの押さえ方を見てると大発見。多分ウクレレを弾いたりするひと、特にギターも弾けるひとは分かってるとは思うけど、共通点を発見したのだ。それは、ウクレレの解放弦は高い方からA,E,C,Gで、ギターの5フレットの高い方から4つと同じ。この図でいうと左の4弦のがウクレレで右がギター。という事は、図の下のAのコードの場合、ギターで普通に弾く5フレットのポジションも5フレットが解放だと思えば、覚えるのが簡単ということだ! おぉ、大発見!! 素晴らしい(そんなのはみんな知ってるっていうツッコミは無しでお願いします・笑)。

つまり、カポを5弦につけてると思えばいい訳だね。そう思うとウクレレもギターの知識を応用できるということで、ちょっとお得な感じがするですねぇ。


2002年10月7日(月曜日)----すぎもと

いちば? しじょう?

今日は「明太子フランス」を食った。ん? 今日も? まぁいいじゃないっすか、好きなんだから(笑)。 今日は「パン工場」というパン屋さん。買う気はなかったんやけど、見てしまったのよ。結構大きくて、これだけでお腹いっぱいっていう感じ。美味しかったけど、「これはっ!」って程ではなかったかなあ。って言ってもボクは食通ではないので、単に好みだけの話。参考にしないように。(しないか……)「明太子フランス」って大きく分けて2つのパターンがあるような気がする。明太子がパリって乾燥してるのと、しっとりジュワーっていうやつ。要するに明太子をのせたまま焼くか、焼いてから明太子を乗せるかの違いだと思うけど……。 ボクはどっちかっていうと「しっとりジュワー」が好きなのだ。それから勿論フランスパンは「パリッ」として、正面からかじりついたら口の両端を切りそうなくらいのやつが。この2つがボクのポイント。今日のは「ジュワッ」系だったけど、パンがダメだった(これは買った時間にも問題があるのかも)。まぁ、そんな事はどうでもいい話なんやけど、今日気になったのはこのパン屋さんの名前なのだ。「パン工場」のこの「工場」の読みが「こうじょう」なのか「こうば」なのかが分からないのだ。「中央市場」は「ちゅうおういちば」なのか「ちゅうおうしじょう」なのかどっち? んんんんん??? ヨクワカリマセンが……どっちでもええか……。

参考


2002年10月6日(日曜日)----すぎもと

ベルリンフィル・ピクニックコンサート

最近よく行く「 カナート洛北」でいつもの「明太子フランス」を買った。1階を ホリデイ・インの方に出た所に、とても美味しいパンの店 (ブレッド・ダイニング グーテ 京都店)があって、最近良く行くのだが「明太子フランス」だけはイズミヤのが美味しい。(イズミヤの中のDONQのじゃなくて、ほんとうにイズミヤのやつ。食料品売り場の中にあるパンコーナーのやつね)今日は後で買おうって思ってたら、みるみるうちに無くなって行って、残りあと二つになってしまったので、あわてて買った。ボクが手にとった後にすぐもう一人のひとが買って行ったので、もう少し遅かったら食べられなかったかも、閉店前だったしね。レジを出た所にあるイヴェント・スペースのベンチに座って食べる。

何年か前、京都市内で初めてCDを貸し出してくれる図書館が醍醐に出来て、行ってみたらジャズやクラシックがわんさかあって嬉しくなりよく通っていた。そこが凄くて一枚だけやけどFRANK ZAPPAが置いてあったり、TIPOGRAPHICAが置いてあったりしたので、感動したものだ。公共の場所にFRANK ZAPPAって……、歌詞見たら驚くぞ絶対(笑)。そこの一階のマクドの向かいにあったパン屋さんで、初めて「明太子フランス」を見たときは驚いた。フランスパンに明太子って……。今は何処に行ってもある定番めニューになってきたけど、その頃はまだ出始めだったので恐る恐る買って食べてみたのだけれど、 車の中で食べながら感動したものだ。

それからパン屋さんに行くと「明太子フランス」を探してしまうようになって、色々と食べたけど、今の所一番は京都駅のヴィド・フランスのと同率一位でカナート洛北の食料品売り場のヤツだ(ちなみに二番は徳島県阿南市のショッピングセンターの中のパン屋さんのやつ。名前失念)。

美味しいパンを食って帰って来て、何気なくテレビを見ていたらNHKでベルリンフィルの「ピクニック・コンサート」をやっていた。チャンネルを合わせた時、ちょうどバルトークの「中国の不思議な役人」の演奏中。スゴイ曲にスゴイ演奏。ボクはこの時代のクラシックが好きなのだ。バルトークとかストラヴィンスキーとか。古典的なのと現代のアヴァンギャルド的なのの橋渡し的な時代。もちろんその当時はかなりの前衛的なものではあっただろうものだけれど(特に有名なのはストラヴィンスキーの「春の祭典」。初演の時の聴衆の大ブーイングが凄まじかったのは超有名な話。今では誰もが認める様な古典になってしまったけれど。これぞ本当のロックであり、本当の意味でのプログレだ!)。

そのバルトークに痺れていると、つぎの曲が始まる。実は始めて聴いた曲だったのだけれど、この曲がまた良い!! (マスカーナ作曲・歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から「間奏曲」)静かな心にしみる様な名演奏で、画面に写し出される景色と一緒に見入ってたら、すっかり入り込んでしまって感動で震える程だった。もう幸せいっぱい。最後の曲はお決まりらしい「ベルリンの風」という曲。(ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでいうところの「ラデツキー行進曲」みたいな存在なのだろうねぇ)。物凄い数の聴衆が総立ちで手拍子を打ち、肩を組み、踊り狂うという素晴らしいものだった。流石本場! クラシックを祭り上げて、「マニアのもの」みたいな日本とは違うのだと、伝統・文化のちがいを思い知らされた感じがした。N響もこれぐらいの事ができないかねぇ……とか思ったけれど、これは演奏者だけの問題ではないのよねぇ。文化なんていうのは聴衆も全部ひっくるめてなんだよねぇ、やっぱり。

日本唯一の(?多分……)公務員のプロ・オーケストラの 京都市交響楽団も毎年市内を無料で巡回して、その地区のママさんコーラスさんとかと公演したり頑張ってるし、何年かまえには円山公園で 山下洋輔さんと「ラプソディ・イン・ブルー」や山下さんのオリジナル曲なんかを素晴らしい演奏でやってて、見に行ったりしたけど、こういう活動は大事だよねぇ。そして音楽の素晴らしさ、生演奏の凄さを知って演奏会に足を伸ばす。芸術は無償である部分は絶対に必要だと思う。市民のオーケストラだから還元だ……とか、将来の顧客のための先行投資のサンプルだ……とかだけでなくて、そうじゃないと消えるか、ほんとにマニアだけの音楽になるよね、ジャズもクラシックも。 総立ちの口笛の鳴る、花火の光る演奏会を見て、そう思ったりしたのです。

てな事を書きながら、 菊地さんの日記を見ていたら、同じ番組を見ていたのね。菊地さんなら見てるかなって思ったけど、同じ曲で感動していたのですね。やっぱりあの演奏は凄かったという事ですね。かなり感動。見られて良かった!


2002年10月4日(金曜日)----すぎもと

岡本太郎に完敗

今日はドラム道場のレッスンに行く日。電車で往復2時間強。電車ではいつも本を読むか、予習の為に譜面を見たりしている。今日は岡本敏子さんの書いた「岡本太郎に乾杯」を読んだ。岡本太郎の作品は太陽の塔であろうと、絵であろうと、サントリーのグラスであろうと、強烈に訴えかけてくる。まさに爆発状態だ。それは作品だけじゃなく、岡本太郎から発せられる言葉も、強烈なチカラをもって襲ってくる。まだ最後まで読めてないのだけれど、阪急電車のなかで強烈にボクを襲った言葉は次の言葉だった。

芸術は本来、無償、無条件であるべきだ。
「芸術は太陽と同じだ。太陽は熱も光も、無限に与える。 日なたぼっこしても、”おい、あったかかったろう。じゃ、いくら寄越せ”なんて、手を差し出したりしないだろ?」
そう言っていた。

南青山のブルーノートの程近くにある「 岡本太郎記念館」に行くと、びっくりする事がある。 庭に無造作に置かれたオブジェには、囲いも無く「撮影禁止」とも「作品にお手を振れないで」などとも書かれていないのだ。皆実際に作品を触れて、梵鐘を打ち鳴らし、本当に楽しそうに笑っている。コムヅカしい表情を浮かべて顎に手を当てて首を十五度右に傾け……などという、一昔前のジャズ喫茶みたいな堅苦しさはそこには無い(ってジャズ喫茶なんて、行った事ないけど……)。

岡本太郎は絵を売ることを嫌ったそうだ。売られる事でしまい込まれ、財産になってしまうのが嫌なのだそうだ。芸術とは生活に密着した、いや生活が芸術そのものであることを、岡本太郎は訴えつづけたのだろう。それはあの宮沢賢治もまさにそうで、ただ賢治の場合は結局ほとんど理解されずじまいだったようだが。「あんさん、そんな事いわはってもね。あんさんは道楽でやったはるんでっしゃろ?」(「ありがとう」みたいに勝手に関西弁訳・笑)という具合に、「雨ニモマケズ……」なんて言っても、所詮ボンボンやんけ! みたいな感じでその純粋さは届かなかったのよね。当時は。

子供達が遊び、行き交うひとが見上げて笑う、生活の一部となっている青山通りの こどもの城の前にある「こどもの樹」を見ていると、常識の奴隷になって無邪気な子供の様な絵が描けなくなった自分に、たくさんの岡本太郎が降って現われ、全身をくすぐられているようでどうしようもなく楽しい。そうやって岡本太郎さんにくすぐられたくて、今年も「こどもの樹」に会いに行った。なるほど、芸術とは無償で、無条件か……。素晴らしい!


2002年10月3日(木曜日)----すぎもと

ビリヤードの難問

昨日の夜、友達から電話が有って難問を出された。この前ビリアードをしていて議論と成り、今仲間内で論争が白熱しているそうだ。 どういう事かというと、例えばビリヤード台中央付近の手前と奥に玉が二つあったとして、手前の玉を突いてもうひとつの玉に当て、その反動で当てた玉を右側にあるポケットに落とす(つまり右ナナメ前に動かす、ビリヤードでは普通に良くあるであろうパターン)場合、手前の玉を突く強さによって玉が右ナナメ前に動く、その角度が変わるかどうか? という事だそうだ。勿論条件として、玉を突く強さ以外の条件はまったく一緒という上での話。「突く強さによって、当てた玉の角度も変わる」という意見と「いやいや、強く突いても弱く突いても、当たった玉の進む距離が違うだけで、角度は同じだ!」とで、まさに意見はまっぷたつに分かれている模様。こんなまさに数学者が何か訳の分からない公式を使って計算しだしそうな理数系の問題を、九九も最近怪しいようなボクに質問するのが間違いで(笑)、「うーん、(角度が)変わらんかな」「いや、変わるかも……」なんて考えれば考える程に脳みそがグツグツと沸騰して湯気が出てきそうな……もう考えたくない!(笑)でも、面白い問題やね。是非答えが知りたいけど、この答えはどこにあるのか? 誰か教えてっ!!!


2002年10月2日(水曜日)----すぎもと

あくあフォント

一時Macコミュニティーでもかなりの盛り上がりを見せた手書き風フォント「あくあフォント」。
Aqua Font

なんか冷たい感じを与えるデジタルな反動からか、「ダサ字」とかのちょっと可愛らしい手書きの「あなろぐぅな感じ」の愛好家も多いなか、個人で「JIS第一水準漢字(2965字)JIS第二水準漢字(3390字)IBM拡張漢字(360字)」を網羅し、かつ可愛らしく素晴らしい出来の「あくあフォント」。 最近アップデートの情報がないなぁ、なんて思ってサイト( Teardrops in Aquablue)を見に行ったら、9月6日にVer.1.2(Mac版)にアップしておりました。縦書きに対応したそうです。WindowsだけでなくMacにも対応してるし、しかもフリーなので、使ってるヒトもかなり多いのだろうなぁ。

ボクはブラウザの表示フォントに指定して、あくあフォントでサイトを読んでます。これがまた良い! 手書きフォントなので、日記とか読んでても暖かみがあるのだ。勿論メールとか、コミュニケーションツールには最適。同じ内容でも、フォントを変えるだけで印象が変わってくるのは不思議だねぇ。

あ、Win版はTruTypeなのだけど、Mac版はOpenTypeなので、MacOSXではそのままで使えるけど、OSXまでのはAdobeのATMが必要なのだ。詳しくはサイトを参照の事。それから、ATMをインストールした場合は、割り当てのメモリーを増やした方が良い。8メガぐらいはいるかなぁ。そして、ブラウザのフォントにあくあフォントを設定した場合も、ちょっとメモリ割り当て増やした方がいいかも。まぁ、ブラウザはもともと多めに割り当てた方がいいから、みんな増やしてるとは思うけど。もちろんOSXはメモリー割り当ての概念すらないから関係ないのだ。


2002年10月1日(火曜日)----すぎもと

DCPRG ライヴ配信中

小心者の杖日記さん経由で知りました。 cosmosmileというサイトで 今年八月二十四日に行なわれた 武 尊 祭 でのDCPRGのライヴ が配信されている。ボクはMac OS9上のでiTunesのストリーミングで聴いてみた所、結構良い音質で聴く事が出来た。サイト上の「聴き方」のページが文字化けで読めなかったので、iTunesの「ストリーミングを聴く」かなんかにしてアドレスをいれてみたけど聴くコトができず、結局普通に「スピーカーマーク」をクリックしたら、勝手にiTunesから再生された。ただ、途中で「ネットワークの速度低下」のために何回か聴けなくなったのだが……。でも演奏はとてもエキサイティングでサイコー! かなり聴き応えあり。

この cosmosmileというサイトは aboutにあるように

シェアウェアの精神

インターネット上では新しい文化が生まれつつあります。シェアウェアとは、誰もが自由にアクセスできる状態でインターネット上に置かれた情報に対して、それが気に入った人が作者に対して自発的にお金を払う、という仕組みです。様々なアーティストの音を聞いて、それを気に入ったリスナーが直接アーティストに対してリスペクトの気持ちを表すために、経済的な見返りを支払う、という新しいライフスタイルをcosmosmileは提唱します。

無料で聴く事ができるけれど、気に入った場合はドネーション(寄付)によってミュージシャンや運営のサポートをしよう! という事のようです。まだまだこういう意識が低いのが現状と思うけど、CD業界やネット文化の未来はこういう部分にかかっているような気がする。 昨日のニュースなんかの西友に群がるヤカラをみてても、まだまだ意識は低いのでしょうねぇ(あれは西友のやり方も悪過ぎだと思うけど……)。それから著作権っていうのは、JASRACに登録すると自分の作品にも使用料を払わないといけないというオマヌケな状態なのに、そういうのはどうなってるのかなぁ? なんて考えてしまった。いや、ちゃんとクリアしてるから出来てるのでしょうが。もうちょっと待ってから考えてみよう、ドネーション。……いや、今お金ないのよ……(って、やっぱりこうなるもんなぁ……反省)。


オマエが言うな!

そう言えば、ひとつ書き忘れた事があった。土曜日のSpank Happyで、ライヴの始まる前、だんだん人が集まってきて、係りのお姉さんが「皆さんもう少し前へお願いしまーす。」なんてやってる頃、ボクの近くに独りで居た男が遅れてきた連れの女性を見つけて「あー、こっちこっち!」っていう風に手を挙げる。おいおい、この状態で割り込ませる気かい? とか思ったらその通り。なんやコイツ! とか思った。

だけど、そいつが次に言った言葉にボーゼンとなってしまった。
女「横入りしてしもた……」
男「あぁ、ええよ、ええよ。」
……(笑) お前が言うな!!!!!!!!!!!(笑) それはお前が言う台詞ではなーーーい!!!!!!(笑) まったく、ラーメン屋とかでスープに指突っ込んで持ってきたおばはんに 「おばちゃん、指入っとるでぇ」って言うたら「大丈夫大丈夫、熱うないから」と言うてるのと同じや! 

そういえば、それで思い出した。昔バイトしてた弁当屋さん(ここは当時デビュー前のブリグリのひとが居た)で、午前中の配達を終えて昼メシを食べようとしてる時に、事務所から呼ばれた。行ってみると何か事務所の人のミスで、配達した弁当の数が違ってたらしい。 「今から持って行って」というので、「え! 今からですか?」というと 「大丈夫、大丈夫。お昼超えても待ってるって言ってたから」……大丈夫って(笑)、それはボクの台詞でしょ。

「昼やけど、悪いけど持って行ってくれる?」

「分かりました、良いですよ」

「ごめんね」

「大丈夫です、大丈夫です」

こうでしょ? 正しくは! 昼飯抜きになるんやから。こういう事、結構あるのよねぇ、まったく。



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