パザ日誌

コラムというほど大袈裟でなく、日記というほど更新もできない。
ただ、pazapのメンバーが思ったことを書き綴るページです。


2004年04月30日(金曜日)----すぎもと

魚の棚

脱走するタコ

この前の土曜日、近くのコーナンでエンジンオイルを購入。日曜日の朝にサクっと自分でオイル交換を済ませました。その時に気づいたのですが、タイヤが非常にヤバい事になってるんですよね。前にはいつ交換したのか、思い出せないのですが、確かソルティ弟君の所へ行く道中の阪神高速守口線でバーストした時に、4本9800円で交換したのは覚えてます。まぁ、少なくとも4,5年、いやそれ以上経ってるとは思いますので、非常にヤバい状態でも不思議ではなかったんです。そういえばガソリンスタンドへ行く度に「タイヤ交換した方がいいですよ」って言われてたので、それが疎ましくてセルフのガソリンスタンドに変えたのでした(その時に気にしろよ!)。という事はかなり危険な状態で走ってたのかも?

今迄、気にしないで平気で乗ってたのにもかかわらず、条件はさほど変わらなくても、気にしながら乗るって言うのは精神衛生上良く有りません。しかも、今迄の街乗りじゃなくて、長距離、高速走行をするとなれば尚更です。という事で、今日は実家に帰る前に自分でタイヤ・ローテーションをして、朝10時半ごろに京都を出発。

前回の帰省でたこフェリーに乗って帰るのが面白かったので、今回も阪神高速から第ニ神明には行かずに、湊川で降りました。そこからは国道2号線をひたすら明石まで。さすがに月末の平日とだけあって、かなりの渋滞でまいりましたです。でも何とかフェリー乗り場まで到着。すると1時間のフェリー待ちだとか。かつて6時間の待ちが当たり前だった事を知ってる者としては、1時間なんか屁みたいなものですよ! という事で、その1時間を有効に使おうと、歩いてすぐの魚の棚商店街に初めて行ってみました。

途中、パン屋さんでフランスあんぱんとコロッケパンを購入。暫くするとアーケードの入り口に「魚の棚」という文字が。おぉ、これがあの有名な魚の棚か! と感動しながら、色々な魚を見ながら歩きました。これがまた楽しい。大阪の黒門市場より、京都の錦市場よりも楽しいかも。なにしろテレビで見ながら「ヤラセじゃないの?」とかって思ってた、タコの脱走も目の当たりにしたのですよ! これは面白かった。これだけじゃなくて、魚も道を跳ねてたりしてて、やっぱり新鮮だからでしょうねぇ。とれとれピチピチとはこの事ですな。

たこフェリー船上

1時間待ちなんて、これじゃ少なすぎるなぁ……とか思いながら、そろそろ時間だからと港へ戻りました。途中で買ったパンをかぶりついたりしてたら、予定通りの船で出航です。曇っていて、おまけにモヤっぽい黄色いものが海上にあって、視界は良く有りませんでしたが、まぁまぁ快適な船の旅でしたです。まぁ船の旅って言っても、せいぜい20分くらいのものなのですが……。お決まりの明石海峡大橋潜りの辺りでは、大型のタンカーが見えたりして、もの凄い迫力でした。やっぱりたこフェリー最高っす。

淡路島に降りても、すぐには高速には乗らずに海沿いの国道28号線を行きますです。気にしだすとあまりにもタイヤが気持ち悪いので、タイヤ屋さんを見つけては値段をチェック。結局オートバックスでタイヤを4本購入して、交換してもらいました。そんな事帰省途中の淡路島でするなよな! という感じなのですが、なんせ折角の旅が楽しくなくなるのは何とか避けたいという事なのです。それでも20分と素早いスピードで交換してくれたので、これくらいならジュースを飲みながら、丁度いい休憩が出来ましたです。タイヤも新しくなった所で、気分良く再出発! と思ったのですが、もの凄い大渋滞になってきまして、オートバックスを出る時にはうんざりして渋滞とは逆方向に出発しました。いつもは西淡三原で高速に乗るんですが、すぐ近くに有ったそのひとつ前のインターチェンジから高速に。鳴門大橋をブイーンと超えて、鳴門北で降りました。結局西淡三原で乗るよりは、たった200円しかアップせずだったので、これからはここから乗る事にしてもいいなぁ……とか思いました。名神は京都南じゃなくて大山崎から乗ったので、結局プラマイ・ゼロで前回と同じく片道4800円で済みましたです。おぉ、楽しくて節約旅!

これも最近お決まりになってるのですが、車を置いて徳島市内の散策をした後、お腹がすいて来たので晩ご飯のお店を色々と物色です。色々と見てみましたが、結局東新町の商店街の中で見つけたFigaroという店にしました。テーブルが4,5席くらいのこじんまりしたお店で、何故か長渕剛が永延と流れてるというお店でした。「豚ロースのキノコ・ソース」っていうのを注文しましたが、とっても美味しかったのに、ご飯と飲み物付きで780円というランチみたいなお値打ち価格。京都の木屋町辺りなら、1500円(税込み)くらいは十分とれそうな感じです。ミニ・コースも1200円でデザート付きだったので、また行ってみたいお店です。

Figaro

その後は新町橋のたもとにあるジェラート屋さんにも寄ってみました。「ジェラテリア・アンリコ」というお店。前から行ってみたいと思ってた店だったんです。ダブルの「あずき」と「さつまいも」で360円。あずきは甘すぎず、豆の味が絶妙に美味しい。そして、さつまいもは鳴門金時を焼き芋にしてからジェラートにしてあるそうで、これがしっかり焼き芋の味で最高に美味しかったのです! あと、「黒はちみつ」っていうものちょっと食べさせてもらいましたが、これまた美味。ここも、次も……というか、帰る前にもう1度寄りたいと思うほどお気に入りになりましたです。

ジェラート

そんなこんなで、実家に着いたら夜の10時。約12時間もかかってしまいましたとさ。速ければ4時間くらいで着く事もあるというのに……(苦笑)。まぁ、道中を楽しむのが正しい旅という事で……。


2004年04月27日(火曜日)----すぎもと

ランドセル

朝、電車に乗っていたら、隣に同時に偶然座った小学生の女の子の様子がおかしいのでした。って言っても具合が悪くなった様だとかそう言うんじゃなくて、変にモゾモゾしてるっていう感じです。ひょっとしてトイレにでも行きたいんだろうか? って思いながら本を読んでたんですが、どうもそうじゃなくて、ランドセルを背負ったまま椅子に座ってるんで、そのせいで収まりが悪くて気持ち悪い様でした。

1年生くらいに見える、優等生っぽい――それでもガリ勉タイプというんじゃない、どっちかっていうとおませさんという感じ――雰囲気のその子は、暫く背中をモゾモゾとしてなんとか落ち着けようと頑張ってましたが、やっぱり無理だと諦めた様で、ランドセルを背中からやっとの思いで重そうに外して、膝の上に置きました。それで気づいたんですが、もの凄く重そうで、しかも大きいんですよね。混雑する所をたった1人で、こんな小さい子供が、重くて大きいランドセルを背負って、学校へ通わないと行けないっていうのは大変だなぁと思いましたです。

まぁ、エリートも大変だなぁ……と思った訳でありますよ。そして、この子達が大きくなったら、ボクの方が「可愛そうな庶民達よ……」と見下されるんですけどね、きっと(笑)。あぁ、こんな大人に成らない様に、せいぜい頑張って頑張ってお勉強するんですよ!


2004年04月26日(月曜日)----すぎもと

イヴ

昨日は昼から、西本願寺の南隣にある興聖寺へ行ってきました。2ヶ月に1度のひろさちや先生の講演会です。と言っても、残念ながらこの講演会も今日を除くとあと1回で終了してしまうのでした。孝三先生のドラム道場にも通えなくなったし、ひろ先生の講演会も終わってしまうという事で、これからは寂しくなるなぁ……としみじみと思うのでした。いや、それより逆に、ボクのプロフィールの「3大師匠と思ってる人」っていう所に書いてある、大尊敬する3人の内、2人に定期的に接する事が出来たっていうのは、今迄がラッキーだったと言った方がいいのかも知れませんですが。

今日のひろ先生の話は、2時間半を超えるヴォリュームたっぷりなもので大満足でした(ただ、録音するのに持って行ったMDがモノラル・モードでも足りなくなってしまったのが残念でしたけれど)。その中でも漢字の話とかが面白くて、例えば仏教で「あきらめる」っていうのは良い意味だという話で――まぁこれは「仏教で」って付けなくても、辞書で「あきらめる」って調べると、悪い意味の方が少ないらしいのですが――これは「明らめる」、つまり「物事の真理を明らかにする」という意味で良い意味なのですが、この「明」という漢字は「日」と「月」が二つとも入ってるので、「太陽」と「月」でもの凄く明るいイメージを持ちですよね。でも、実はそれは間違いで、「日」は実は「太陽」の意味じゃなくて、窓という意味の字が変形して出来たものなんだそうです。意味は「窓から入ってくる月明かり」という事で、太陽光線の下で女性の肌を虫眼鏡を使って見るような見方をするんじゃなくて、窓越しの月明かりでぼんやりと見るくらいの感じで物事を見る様な見方をするのが、実は「明らめる」という事なのだという様なお話。なるほど!

それから、質疑応答の質問で出た「神道」の話との絡みで、民俗学的な話も非常に興味深いものでした。正月の仕組みとかは本当に面白かった。どうして「祝い箸」はあぁいう形なのか……とか、「お歳暮」とか「お年玉」の意味とか。あと、日本に限らず、だいたいの民族は普通1日の始まりを太陽が沈む頃からに設定してあるので、正月のおせち料理っていうのも、本当は大晦日の夜から食べるのが一般的だったんだとか。この習慣はちょっと前までは、長野県の1部でまだ残っていたのだそうですが、今はほぼ無くなってしまったらしいです。「クリスマス・イヴ」っていうと「前夜」っていうイメージですが、実はあれも本番だったという事なんですね。という事は、お祭りの「宵宮」っていうのも本番が始まってるという事なのでしょうねぇ。


2004年04月25日(日曜日)----すぎもと

pazapポリリズムを練習す

pazapの新曲――といっても、通称でそう呼んでるだけで、もう作って暫く経つんですけれど。「ボク」という曲です――は、シンプルな8ビートと、ボクが作るとどうしてもそうなるのか? という様な同じフレーズの繰り返しで出来てる様な曲なんです。そういう曲を昨日はあーでもない、こーでもないと練習してました。普通のアレンジにすれば何でも無い単純な曲なのに、何故にややこしいアレンジにするのか? そんなので悩まないといけないのか? 色々と自分の中でも思うのですけれど(苦笑)、普通にやるのは皆やってる事ですし、それをあえてわざわざ同じ様にpazapでやる必要も無いのだと、ひねくれたボクは勝手に納得するのでした。いや、どちらかというと、世間が間違ってる(笑)。それくらいの勢いです。

この曲は、間奏のギターソロ部分の後半にドラムとベースが、4拍3連のフレーズで3拍子を演奏して、上モノとポリリズムになります。4と3のポリリズムなんですけれど、4が16分音符で3が3連符を演奏するので、人によっちゃあ「そんな事をしちゃダメ」なお手本になるのかも知れませんが、「そんな事しちゃダメよ」がスリリングで気持ち良いなんていうのは、昔から世の常なのはボクが書く迄もない事でございます。そのポリリズム部分パート1――後半にポリリズム部分パート2っていうのが出てくるので。これがもっとややこしい(笑)――がどうも合わないので、昨日はその部分を重点的に練習しました。

例えばこの曲の場合、ずっと4拍子で進行していて、急にある部分に来たらリズムパートが3になるんですが、その場合演奏する方が2通りのリズムの取り方が出来るんですね。つまり4拍子を体で感じながら3拍子を演奏するのか、完全に3拍子にシフトしてしまうのか……なんですけれど(「4拍子で3拍子」っていうのは、つまり4拍3連――1拍3連を4でグルービングしたもの――だという事です)。この曲の場合どっちで演奏しても問題ないのですが、ボクは4の中で3をやってるんですが、聞いてみるとベースの高木氏は完全に3でとってるのだとか。こういうのはポリリズムの醍醐味ですなぁ。どっちかっていうと完全に3で演奏する方が高度な気がするんですが、その辺りの感覚も人によって違うのでしょうねぇ。

ともあれ、もうちょっとこの曲で悩みそうであります。練習せねば。


2004年04月24日(土曜日)----すぎもと

久しぶりに図書館へ

今日が返却期限の本が2冊あったんですが、1冊がまだ読めてない。とはいえ、僅かなページなので図書館に行ってからソファでゆったりと読んで返却。という事で「続・百鬼園随筆」(内田百閒/新潮文庫/ISBN4-10-135632-7)を読了です。目の調子が悪かった頃から、とても読書なんて出来る状況じゃなかったので、今は本を読む喜びを感じでいたりします。

そんなこんなで、返却ついでにまた2冊ほど借りました。「水中都市、デンドロカカリヤ」(安部公房/新潮文庫/ISBN4-10-112107-9)と「私の個人主義」(夏目漱石/講談社学術文庫/ISBN4-06-158271-2)。夏目漱石のは前から読みたかった本で、というか青空文庫にもあるんでそれはダウンロードして途中迄よんでたんですが、どうもディスプレイで読むのが嫌になってきて止めていたのでした。やっぱりちゃんと本で読みたいです。

それでお約束のCDも借りて来たのですが、今回は「ヴァイル:7つの大罪、交響曲第2番」(WPCS-5895)。これはケント・ナガノが指揮する国立リオン歌劇場管弦楽団のヴァイル(Kurut Weill,1900-1950)の作品。それから、サティのピアノもので「眼の中の神秘的な接吻〜サティ・ピアノ・コレクション2」(MGCC-1021)。これは柴野さつきさんのピアノです。


2004年04月22日(木曜日)----すぎもと

4年間

京都のLiveSpot RAGというライヴハウスは、なかなかスリリングな場所です。

ボクがここに初めてライヴを観に行ったのは、スーパー・ハイテク・インスト・バンド"W.I.N.S"というバンドを観るためだったんです。その時はボクはまだドラムを叩いてなくて、バンドでギターを弾いてましたが、DedChaplinというバンドを観て衝撃を受けて、そのドラマー菅沼孝三氏の大ファンになりました。DedChaplinから孝三さんが脱退した後、某情報誌のライヴ・スケジュールに「菅沼孝三、永井敏巳」という名前を見つけて、DedChaplinでは聴く事が出来なくなった、この2人の超絶なリズム隊が聴けるのか! と"W.I.N.S"のライヴをRAGで観たのでした。

演奏のスリリングさは勿論の事、まったく圧倒されっぱなしだったのですが、一番驚いたのは、休憩の時に孝三さんがボクの座ってる横に、ほんとうに何気なく座って、前にいたお客さんと喋ってた事。それまでホールやライヴハウスに限らず、「楽屋」と「客席」という、完全に遮断された場所に居る方が、休憩中に客席でお客さんと喋ってるなんて、そういう世界は初めてだったので、これは演奏以上にスリリングだったのを覚えてます。

勿論、アマチュアのライヴはそういうノリが当たり前だったんで分ってたんです。でも、それがプロの人、しかも憧れのミュージシャンとそういうコミュニケーションがとれるという世界があるなんて思ってもみませんでした。その後暫く、実際に孝三さんと会話した訳でもないのに、隣の席に座ってたというだけで興奮してしまってたのでありました。

それからは、そういうライヴハウスにも通ったりする様になり、そういうノリにもすっかり慣れてはおりました。しかし、1年前のまたまたRAGです。京都のLiveSpot RAGというライヴハウスは、なかなかスリリングな場所です。

pazapのギタリストである生野さんとボクとで、アラン・ホールズワースのライヴに行きました。ボクの場合にはドラムがチャド・ワッカーマンだったからです。Zappa御大のバンドで長い間ドラムを叩いていた、ボクにとっては雲の上の人物です。確かその前の年にも、ライヴに来てたんですが、都合が付かずに行けなかったんです。で、やっと生チャド・ワッカーマンが観れて、ポリリズミックなドラム・ソロに感動してライヴが終わった後です。感動に酔いしれて生野さんと向かい合わせで座っていた所、ふらっと生野さんの横の席にアラン・ホールズワースが座りました。生野さんもビックリしてましたが、なんと、アランが居るからと、ふらっとチャド・ワッカーマンまで来たではありませんですか。しかもボクの横に座りました。正直、チビリそうでした(笑)。この場所がそういう場所であるっていうのは、何年も前から体験して知ってるんですけれど、でも、ある意味こんなボクにとっては神に近い感情を持った人が、ふらっと隣に座るだなんて、想像もしておりませんでした。生野さんはアランに握手をしてもらい、ボクは持っていたチャドのソロ・アルバムにサインをしてもらいました。なんという素敵な夜だったのでしょう。

そういうアラン・ホールズワースのライヴの季節がまたやってきました。何故かよく分らないんですけれども、アランのジャパン・ツアーはいつも、ゴールデン・ウィークの辺りなんですよね。でも、今回はドラムがチャドじゃないんですよね。残念。今年もRAGであの感動に遭遇する人が居るんだろうなぁ……。というか、毎日の様にあの場所ではそういう感動があるんですよね、きっと。

京都のLiveSpot RAGというライヴハウスは、本当にスリリングな場所です。

さて、ボクが大尊敬するドラマーで、初めてのRAGでその衝撃を受けた菅沼孝三さん。その後大阪のロイヤル・ホースというボクなんかには不似合いなジャズ・ラウンジがありまして、そこはドラムの真後ろに客席がありまして、そこへちょくちょくライヴを観に行ったりして、増々その凄さに参ってしまいまして、4年前に大阪で孝三さんのドラム道場がオープンした時には、平日でちょっと通えるかなぁとか思ったんですが、なんとか生徒としてレッスンを受ける事にしました。それから丸4年。一応、無遅刻無欠席の皆勤賞。それに楽しかった発表会。というか、岸和田の人が一年をだんじりを中心にとらえている様な感じで、ボクの1年は明らかに発表会を中心に回ってました。3回参加したんですけれど、必ずオリジナル曲を演奏するっていうのをポリシーにして出演しました。3回めには歌付きでpazapの曲も演奏できて、pazap初の関東進出という事になって楽しかったです。

さて、あと1回残っていたと書いた「更新が滞っていた時シリーズ(?)」最終回です。更新してなかった頃、ドラム道場を退会しました。

理由は、生活パターンの変化によりまして、通うのが困難になってしまった事で、不本意ながらという事なんですが。でも、本当に楽しい4年間で、ボクの練習の怠慢によりましてドラムは上達しませんでしたけれど(苦笑)、本当に楽しかったですし、勉強になりました。孝三先生を初めとしまして、レッスンで知り合った道場生の方々、スタジオのスタッフの皆様方、発表会で出会った方々、本当に楽しい日々をありがとうございました。そういう気持ちで一杯です。


2004年04月21日(水曜日)----すぎもと

ひょっとして今は「スチュワーデス」って言い方はダメだったんでしたっけ? 「客室乗務員」って言わなくちゃいけないとかいう事になったんですよね。だれが決めたんだかしりませんですけれど。だいたい「スチュワーデス」っていう言い方が、ボクは男女差別的だとは微塵も思わないですが。

まぁ、そんなくだらない事はいいんです。要はスチュワーデスの人たちがよくフライトに向かう時に、ゴロゴロと押して歩いてるような鞄の事が言いたいだけなんです。あれ、なんて言う名前なのかちょっと分らないんですが、あのキャスター付きで、取手がニョキっと出て来て押して歩ける鞄。あれの小振りなので、ディズニーの絵が書いてある様なのを、通学途中らしい女子高生が持って――というか押して――歩いてたのを見かけたんです。とっても格好悪く感じたんですが、あれ流行ってるんですかね?

初めはひとりだけだったので、何か特別な事情があって学校に持って行かないといけないのかなぁ……とかって思ってたのですけれど、暫くしたら向かいからも同じ様なのがやって来て驚きました。やっぱり流行ってるんですね。まぁそんなに見かけないので、ごく1部にだけ流行ってるのかも知れませんですが。

やっとの事で「百鬼園随筆」(内田百閒:著/新潮文庫/ISBN4-10-135631-9)を読了。



pazap研究室 all rights reserved.