コラムというほど大袈裟でなく、日記というほど更新もできない。
ただ、pazapのメンバーが思ったことを書き綴るページです。
今日は久しぶりにNTVの 知ってるつもりを見た(真剣に見た訳でなく、なんとなく見た感じですが……)。今回のテーマは「文明はなぜ滅ぶか?」という事でした。古来から大きく栄えた「文明」は人間至上主義に陥り滅んでいったようであります。
神々や自然と共存してきたエジプト文明から、それを倒したローマ以来の自然支配、神々排除の人間至上文明が近代工業社会に発展してきた。
しかし今、我々の文明が限界を迎えつつある。→前出番組サイトより
番組内で紹介されていたローマ帝国の滅びる前の状態が、現在の日本の状況とよく似ていたのはドキッとするところでしたねぇ。文明が滅ぶ時は外からの原因によって滅びるのではなく内なる原因で滅ぶ……というのが印象的でした。
この「知ってるつもり」は残念ながらあと二回で終わるそうです。その二回はスペシャルで「釈迦」と「キリスト」。今回の人間主義によって滅びかけている国を、救うヒントはないのかをこの二人(?)から考えるということらしいです。なかなか「知ってるつもり」らしいエンディングで、切り口としては面白いと思います。そしてこの話題で登場する解説者は、我が尊敬するひろさちや先生でありますねぇ。楽しみですがこの話題ではレギュラーだったので、これが最後なのは残念であります。
今日はpazapの練習でした。前回のAスタジオの件は地下が工事中で誰も居なかったので別に何の問題もなく、考えただけ損でしたな……はっはっは。今日はその隣のBスタジオ。先週の練習が終わってからミーティングをしたせいか、今日はだらだらした感じがなかったような実りのある練習でした。たまには(?)ミーティングも必要ですねぇ。結構重大な問題もありますので、早期に解決せねば……。
さて、スタジオから帰ってテレビなどをちらっと見たら、どこかで熊が打ち殺されていました。大きな熊だったので、あんなのに山ですれ違ったら怖いだろうな(はたして無事にすれ違えるのか?)。しかし熊って生き物は、好かれているのか嫌われているのかよく分かりませんね。 ぬいぐるみとかでは「くまちゃん」などと喜ばれ、本物は怖がられ(?)殺される(もちろん殺す必要性を否定している訳ではありませんよ)。このギャップが非常に大きい生き物ですねぇ。熊がみんなプーさんだったら、マタギの人も非難されるんですかね?
ちょこちょこxhtmlに切り替えてるんですけど、細かい所はまだまだ手がまわりません。 CSSも知らない事だらけでてこずってます。 それに、いちばんややこしいのが、Mac版のIE5 では、ローカル上でXhtmlを開けられないのです。とほほ。 MacOSXのでは大丈夫なのですが、最近はMacOS9か8.6で作業してるので何とかして欲しいものです。
最近気になっていたジュースがあったので、買ってみました。 アサヒの フキゲンというヤツ。近所にあるアサヒの自販機の前を通るたびに、この「フキゲン」というネーミングと、なーんかいかにもフキゲンそうな女の子のイラストが面白かったので。 「乳性炭酸飲料」って書いてあったので、 「Bikkle」に炭酸を入れたような感じなのかな?と思っていたら、まさにそんな味でした。
そうそう、近所というとボクが良く行くコンビニに行く時、通る道ぞいに散髪屋さんがあるのです。こじんまりとした、おじさんがひとりでやっているような感じの所なんですが、ボクは入った事ありません。というか、もし行きたくても入れなかったでしょう。何故ならその店の前には「一見さんお断り」みたいな貼り紙がしてあったから。始めてみた時「へぇ、京都らしいな」などと思ってビックリしたもんですが、最近はその貼り紙を取ってあるのです。ホントの理由は分かりませんが、深刻な不景気なんだなぁと前を通る時思います。
このページだけ、見た目には分かりにくい模様替えをしました。
htmlからxhtmlにしたのです(imode版はxhtml-Basicになるまで、そのままの予定)。見た目には分からないですが、結構大変でした。前から準備の為にちょっとづつタグを小文字に変えたりしてたんですけど(perlとかで正規表現使ってやれば早くできるんでしょうが、ボクにはそっちの方が面倒だったりしましたので……)、スタイルシートとJavaScriptを外部ファイルにしたついでに、「いっきにやってしまえー!」とやりました。デザインももうちょっとマシにしたいんですけど、そこまでは手がまわりませんです。まぁボチボチいきますわ。
そうそう、昨日書いたaccesskeyですが、ちょっと調べてみたら、IE5でも出来ました。コントロールキー押しながら押すんですね(WindowsならAlt+Keyですね)。それからaccesskeyって携帯用のタグと勝手に思いこんでいたんですが、違ったんですね。失礼しました。カラダに障害を持つヒトの為の機能だったのですね。イメージのaltとかしか意識してませんでした。こういうのもちゃんと考えてつくらなければ……とつくづく思いました。公共のページは結構考えられているみたいですが、こういうのは企業のページではまったく考えられてないような気がします。手すりつけたり専用のトイレやエレベーター造るよりよっぽどやりやすいと思うんですけど……。
突然このサイトのi-modeページを作ってみました。理由は友達にi-modeでしか見られない人もいるし、携帯全盛の時代なのでどっちみち必要になるだろうなぁ……なんて事を考えて試しに作ってみました。何も考えずに作ったのですが、以外と面白かったですねぇ。ただ一ページの容量制限とかもあるし、 絵文字は訳わからんし、ややこしいのはややこしい。だいたいボク自信が携帯嫌いで持ってないので、確認のしようもなかったりするしねぇ。
確認と言えば、このi-modeのページも
iCabで確認と構文チェックしてるんですけど、新しい発見がありました。i-modeページ作る時にはアンカータグのオプションで「accesskey」というのがあるんですけど、これ多分 accesskey=1 とかしたら、携帯の「1」のキーを押したらリンクへ飛ぶようになると思うんです。iCabってこれに対応してるんですね。
画像のようにちゃんとaccesskeyを設定してある所は数字が出て、しかもカーソルがアドレスにない時はテンキーを叩くとそのリンクに行きます。試しにMac用のIE5で確認してみると数字も表示されず、テンキーも効きませんでした。iCabやるやん!なかなか出来るヤツですなぁ。
ニュースではi-modeと EZWebはWAP2.0の採用で互換性を持つ方向に向かってるらしいんで、そのうちどっちでも見られるようなものになるでしょう。 (WAP2.0でiモードとEZwebの仕様が1つに──ドコモも移行)ふーん xhtml Basicねぇ。けっこう面白くなってきそうですなぁ。
車の中ではAMラジオを聴くことが多いんです。FMではボクの聴きたい曲などかかるわけもなく、かといって好きそうな曲もほとんどかからないから。でも好きな番組もあります、それは土曜日の夜 NHK-FMでやっている、「ゴンチチの世界の快適音楽セレクション」(毎週土曜日の19:15-21:00)。
この番組はゴンチチのおふたりが毎週テーマに沿った選曲を聴かせてくれて、独特の関西弁でのトークと小芝居で笑わせてくれます。この選曲がすごくて、JAZZやらCLASSIC、昭和の歌謡曲からラテンなどジャンル関係なし。もちろんインスト歌もの関係なしです。「うっひゃー、なにこの曲!」と釘付けになって、目的地に着いたのに車から降りられないことしばしば。こういう番組は民放FM曲ではなかなか出来ないような気がします。そのあたりにNHKの必要性を感じてしまいうんですが。カッコイイ英語のDJが最新のTOP20やらを紹介している番組は、どうも性に合わない。むしろ嫌悪感すら感じるのはボクだけでしょうか? >おまえだけじゃ!(天の声)。
そうそう、今日ラジオを聴いていて前のニュースの時間に伝えた内容が間違ってたらしく、アナウンサーの方が訂正をしてました。こう言う事はテレビでもよく見かけますが、いつも「お詫びして訂正致します」とかって言いますよね。でも確かに「訂正」はしたけど「お詫び」を言っているのをあんまり聴いた事がないと思いません? 「お詫び申し上げます」っていうのが「お詫び」なのでしょうか?「〜は〜の誤りでした。誠に申し訳ございませんでした。お詫びして訂正致します。」なら分かるんですよ。ちゃんとお詫びしていますよね。どういうつもりでお詫びしてるんだろ?スポンサーさんに怒られた時にも「お詫び致します」っていうんでしょうか?まず頭を下げて「申し訳ございません」でしょ?
3月2日に書いた「実録ヤフーオークション事件顛末記は番外編へ」は進展があったようなので追記を行いました。新たに出る記事を読んだら、読売新聞さんにメールを出そうかと思います。クレーム言うだけが意見じゃないですからね。
昨日の帰りに プラッツ近鉄の五階にある 新星堂へ寄った。 何年か前から欲しいと思っていたCDを探すため……というのは口実で、トイレに行きたかっただけだった。 ついでに(失礼!)覗いてみると、あるではないか!実はぜったいに置いてないと思っていたのだ。(ホントに失礼!) それは写真左のCD、 三木稔さんの 鳳凰三連/三木稔選集IV、いわゆるクラシックの現代音楽である。 #新星堂さんクラシックコーナー充実してました。素晴らしい!現代音楽のコーナーもけっこう揃ってました。 数々の御無礼お許し下され! 序の曲、破の曲、急の曲の三曲からなる「鳳凰三連」は、西洋のオーケストラと邦楽器とのコラボレーション による曲で、特に急の曲はクルト・マズア指揮のライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団と日本音楽集団によるドイツでの世界初演の時の演奏である。
実はボクはこの曲には思い出がある。田舎の中学校に通う音楽好きの少年だったボクは、ベートーベンとかチャイコフスキーとかを好んで毎日のように聴いていた。ある時近くの町に(っていっても汽車で1時間ちょっとかかる。電車ないのよ、ディーゼルなのよ、ごめーんねっ田舎で)本場ドイツのオーケストラがやってくるらしい、しかも演目はチャイコフスキーの「悲愴」。当時「悲愴」に惚れ込んでいたボクは、それを本場ドイツのオーケストラで聴けると聞いてチケットを取った。田舎といえども本場のオーケストラ、チケットは結構高かった。ボクはあまり良くないとされる一番安い席に座ってそのコンサートを聞いた。本場ドイツのオーケストラの「悲愴」は感動的だった。だけど、よく分からない曲があった。そう、それがこの急の曲だったのだ!
メンバーも勿論このCDのメンバーだった筈。多分こんな田舎でこんな凄いオーケストラを聴けたのは三木稔さんが徳島出身だったからなのだろう。今から思えば非常に貴重な体験をしたのだが、当時ベートーベンなんかのコテコテものが好きなヤツが、ストラヴィンスキーやバルトークをすっ飛ばして、現代音楽である。コレハナニ? という状態であった。
歳を重ねるとヒトも多少は成長するものである。今は逆に現代音楽が好きになってしまったボクとしては、もう一度あの曲を聴いてみたいとずっと心に思いながら、なかなか果たせずにいた。そして二十年ぶりに聴いたこの曲は、最高に素晴らしい曲であった(個人的には武満徹さんの「ノヴェンバー・ステップス」より好き)。そして同時に「日本人としての音楽」という、これまた前にNHKに出演されていた三木稔さんを見た時に、心にずっしりとのしかかって来たテーマが蘇ってくるのであった。生まれてから接する音楽はほとんどが洋楽(西洋の音楽という意味)。それでいいのか! と突き付けられてる感じがするのである。素人であっても音楽で表現をしようとするものにとっては、考えさせられる問題である。しばらく三木稔さんの作品を聴いて、考えようっと。
それにしてもこのCD、二枚組で3000円ととってもリーズナブルなのだ。そのせいか近くにあったペーター・ザードロ&フレンズの "Drum Together"というアルバムも一緒に衝動買いしてしまった。
何も分からず帯だけで衝動買いしたのだが、これが大正解。一応カテゴリーは「現代音楽」なのだが、ジャンル分けなどまったく無意味。一曲目の7拍子のドラムセット入りの曲から、ジョン・ケージ、クセナキスなどの現代曲。そして、ここにも三木稔さん( ルネサンス・バンガードもやってた、マリンバ・スピリチュアル)。最後のサンバはスチール棚やバケツ、ショッピング・カートやチェーンなど、普通は楽器じゃないと思われているものまで叩きまくってます。 全曲打楽器だけの作品ばかりで、素晴らしい演奏であります。 良い音楽に出会えるのは、ホント得した気分。
ところで今J-POPって何やってるの?
今日は二ヶ月に一度のひろさちや先生の講演会を聴きに行きました。 この講演会は一応シリーズもので、 歎異抄の前半部分(親鸞聖人のお言葉の部分)を一段づつ、浄土真宗の住職さんや大学の講師の方とひろ先生からお聴きして、仏教的な生き方を学び生活で実践しようという会です。
最近ひろ先生はインドに行っておられたとの事で、冒頭にインドの話しをされてました。二十数回インドに行かれてる先生ですが、今回の旅ではあきらかに今までと雰囲気が違ったようです。そういえば、インド内でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の抗争が起こって、列車に放火したりして死者が出たと言うニュースを最近聴きました。これまでインドでは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒はお互い認めあって、穏やかに生活していたらしいのです。テロ以降世界は特に緊張していますね。
今回の先生のお話でも出て来たのですが、仏教国であるはずの日本でも、まったく仏教が理解されていないというお話。まったく同感でした。教科書でも過った認識がされているので無理もありませんが。
仏教といっても「大乗仏教」と「小乗仏教」があり、これは「ユダヤ教」と「キリスト教」ほど違うものです(日本の仏教は大乗仏教です。「浄土宗」も「日蓮宗」も「禅宗」もそうです)。キアヌ・リーブスが出てた 映画「リトル・ブッダ」なんか見ると「こんなもの本物の仏教の世界じゃない!」と思ってしまいます。西洋人の知っている仏教は「チベット仏教」か「禅(ZEN)」だけですね。
一般的に言われる、釈迦が出家して修行して悟りをひらいて人々に教えを説いた。これじゃ仏はただの「悟った人間」じゃないですか。「大乗仏教」の世界では、仏は人間じゃない。「時間や空間を超越した宇宙の意志(宇宙全体)」です(これを「法身仏」といいます)。宇宙そのものである仏が、宇宙の真理を伝えるために人のカタチとなって現れたのが釈迦なのです(これは「応身仏」といいます)。このあたりが、キリスト教の「ゴッド」と「イエス」の関係に似ています。
「小乗仏教」は言わば「エリート主義」です。家や家族を捨てて出家し、苦行を積んで悟りを開く。そんなこと誰にでも出来ません。そういうエリート主義の「小乗仏教」に対して、そんなのはおかしい、仏は全ての衆生(生きとし生けるもの)を救うのが目的なんだ、というので生まれて来たのが「大乗仏教」なのです。
それから「仏教」イコール「葬式」という図式ができてますが、本来「仏教」と「葬式」は関係ありません。これも仏教に対する誤解の一つです。実際今でも奈良の仏教(例えば薬師寺の「法相宗」など)では、それを守って葬式はいっさいやりません。親鸞聖人がお亡くなりになる前、「自分が死んだら鴨川にでも流して魚に喰わせてくれ」というような事を言っておられます(この言葉には感動します。現在生きておられたら「自分が死んだら自分の臓器を他の人に……」というような言葉は言われなかっただろうなと思います)。そして、その言葉に反して墓がつくられ、現在の本願寺になっていくあたり、矛盾にみちておりますが……。結局日本では「世俗化」をしないと残っていけなかったのでしょうか。そして仏教は骨抜きになっていきましたとさ。
宗教の持つ危険性もありますが、宗教を持たない危険性も勿論あります。宗教を持つということは、「世間の物差し」と「神(あるいは仏)の物差し」という価値観を二つ持つと言う事です。そして、「世間の物差し」はあやふやです。戦争時に人を殺すのは良くて、戦争が終わると犯罪。流行の服みたいにコロコロと変わる「御都合主義」で普遍的な原理がない。そして近年、それだけの価値観で日本はやってきた。アメリカの個人主義の上っ面だけ真似をした。アメリカ的個人主義は、個人と個人は「キリスト教」などの「神」によってつながった上での個人主義なのです。そのスタイルだけを真似した日本人は、ただの自分勝手なエゴまるだしの「神なき個人主義」です。その危険性は毎日のニュースを見れば分かる通り。
最後に、有名な聖徳太子の言葉。
----世間虚仮、唯仏是真----
第三章 国民の権利及び義務
第十一条 【 基本的人権の享有と本質 】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条 【 自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任 】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
しばらく連載され、うちのトップページからもバナーで紹介させてもらっている クリスタルアートさんによる 実録ヤフーオークション事件顛末記が一応完成したようです。 ……が!終わっていなかったようでした。 実際、盗難に遭われた大西さんは、内容を公開した事によって身の危険を感じています。 #トップページによると、本当に引っ越しも考えているらしいです。 それなのに、お粗末な警察、オークション業者、それに加えてこんどは新聞社ですか……。 まったく言葉も出ません。
まぁ物事は聞いた人によって、見える角度が違ってくるのは当然です。これを書いた記者さんは、警察からの情報で書いたのでしょう。でも大西さんはサイトで公開してるのですから、警察サイドの話だけでなく、大西さんの意見も見て公平に判断できたはずです。
だいたい大西さんがこの件を公開したのは、盗難された事よりもその後の警察とオークション業者の対応の悪さのほうを訴えたかったのでしょう(そしてその結果、盗難品が平気で売られている現状を)。盗難された事に対しての御自分の非も認めている訳ですし。警察も業者も動いてくれないから、しかたなく自分で動くしかしょうがなかったんですよ。
自分の「権利」を守るには、命をかけて守る。これは大原則です。「権利」は必ずお上が守ってくれるものではありません。勝ち取っていくものです。憲法には「基本的人権の尊重」がうたわれていますが、同時にそれを守るために努力をする義務も書いてあるそうです(自分では確認できてませんが……確認できました)。「基本的人権の尊重」にしても何にしても「お上がなんでもして当然」とばかり考える日本人はホントにお気楽です。
昔フランスでは、馬車が道を暴走していたら、腐った生卵をぶつけたといいます。車でも多くの人が乗っていると、必ず暴走するやつが出て来ます。そうすると事故が起こって危険です。歩行者が安全に往来できる「権利」が脅かされる訳です。それでフランス人はその「権利」を守るために卵をぶつけるのです。
あるいはこういう話も聞きました。ある人(日本人)がヨーロッパのまちで路地を歩いていました。すると後ろから車が来たので道路脇へよけました。そこで一緒にいたヨーロッパの人(どこの国か忘れました)が「どうしてよけるんだい!」と非難しました。「私がよければあの車が通れるじゃないか。」というと、「君は間違っている!」と言われたそうです。「ここは人が通る道なんだ。そこで車に道を譲りだすと、そのうち車のほうが我が物顔に走りだして、終いには狭い路地で暴走を始めるやつがでてくる。私達歩行者は「安全に歩く権利」を守るために命をかけて道を譲らないんだ」と言われたそうです。なるほど。この話を聞いて「権利」というものは本当はこういうものなんだなと初めて気付きました(もちろん、これは「権利」を主張する時の話であって、この世の中は「権利」だけで成り立っている訳では有りませんです。念のため)。
暴走車の問題は「道路交通法」によって警察官が取り締まればいいじゃないか、という話しなんですが、実際問題警察が動いてくれるのは、本当に大きな事件だけというのは大西さんの「顛末記」を見ても分かります。だから大西さんは、命をかけて行動し、サイトで公開したのです。すごく勇気がいる事だし、なかなか出来る事じゃありません。
それにしても新聞記者は、警察発表だけを聞いて裏もとらずに記事にするのですかねぇ。実際は大西さんのサイトも見て、記事と違うと分かってて記事にしたそうですが……。記者さんにとっては「小さな記事」にいちいち手間をとって裏をとり、記事を書き直してる時間なんかないのでしょう。そう考えると新聞なんて、どこを信じていいのやら。インターネットの時代、簡単に新聞よりも「本当の事」が手に入る場合も多いのです。自費出版するような手間も経費もかかりません(もちろん「うそ」もひそんでいますが)。
さて、業者側は こんなお知らせをしています。
健全なオークションサイトを目指すYahoo!オークションは、2001年5月28日に本人確認システム※を導入いたしました。以降、違法出品やガイドライン違反の出品、いたずら入札、落札後に連絡が取れないといったケースは減少し、ユーザー数、出品数やお取り引き数も大幅に増加しました。
-上記リンクより-
まったく、笑えますねぇ。 すると、それまでは今以上に犯罪の巣だったのですね。
明日(日付けが変わってるので正確には今日)は久しぶりのドラム道場レッスンの日。「Aスタ」も待っているので、ルーディメンツの練習でもしようと思いMacに向かう(何でやねん!)。いやいや、最近Hybrid Rudimentsとかに興味があるので("Cheese"系がお気に入り。Basicなルーディメンツもまともに叩けへんくせに!)、どんなルーディメンツがあるのか検索かけてみたのです。色々と見つけたのですが、興味を持ったのが 7/8Paradiddleなるもの。ストレートなシングルパディドルが二つと、パラディドルディドルがひとつでちょうど7/8。結構シンプルで叩きやすそうなものですけど(実際ボクも7/8の曲では使ってる時があります)、発展させたら面白そうだなぁ。と思ったら色々と頭の中にうかんできました。
まず、シングルパラディドルの部分をストレートなのだけじゃなくて、4パターンのパラディドル(インワードとディレイド、そしてリバース)にしてみるとか。問題はパラディドルディドルの部分かな。4パターンのパラディドルはアクセント移動していくので、それに合わせてアクセントが入る手順にしてみるとかかなぁ……(などとしばし譜面に書いて考えてみる)。おぉ、今作ってる曲に使える使える。よしよし、さぁ、Macに向かおう!!……って、やっぱりMacに向かうんかい!